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飲み会嫌いのつらつら

※飲み会が大好きでたまらない方や、飲み会に行きたくてしょうがない方はたいへんに気分を害される内容となっております。ご注意ください。

前書き

 若い子の考えていることは分からない、と、モンスター扱いされがちな年齢である。脱・詰め込み教育。総合の時間を愛し、ゆとりど真ん中あたりでぬくぬくと育ってきた。
 そんなゆとり世代わたくし、飲み会が大嫌いだ。
 コロナ禍には、仕事関連の飲み会がおしなべて中止となり、その方面では天国のようであった。
 そのかわり、医療界隈及び関連機関はパンク状態となり、時間外労働が激増したことは置いておいて……。
 さて、私は、もう本当に本当に職場の飲み会というものが嫌いで、社会人になってからというものの、歓送迎、親睦、忘年、新年、納涼等々、数々のワードに目くじらをたててきた。
 もうほんとうに大嫌いなので、シーズンごとにX(旧Twitter)への憂さ晴らしが大変なことになる。
 この際、思いの丈をしたため、ことあるごとに読んで、このとてつもなく納得できる内容を書いたのは誰だよ……あ、私か。をするのもよかろうと、noteに書きつけることにした。最近もひとしきり騒いだが、騒ぎ足りていないからでもある。
 もしかすると、こんなに飲み会が嫌いなのは自分だけではなかったと、私の熱のこもった書き口に癒される人もいるかもしれない。

飲み会の何が嫌いか

1 ほぼ業務時間外の開催であり、嫌い

 職場の構造は、学校に似ている。選べない人間関係のるつぼに放り込まれて、選べない人間たちと協働する。
 そんな、選べない人間たちと食事を囲んだとて、出てくるのは、人の愚痴か上品なマウンティング合戦(たいていは配偶者か子供が武器である)か、上っ面の超くだらない清らかな潮流のような世間話か、「自分たちが若い頃は……」と説教と苦労話の入り交じったどうしようもないゴミ発言をする上をしゅごいしゅごいと持ち上げるかのいずれかが関の山なのである。
 そして、こんな超絶どうでもいい低クオリティコンテンツが勤務時間外に繰り広げられるのに、参加費用を〜1万円捻出させられるのは最高にとち狂っているのである。5,000円にしても、なぜ職場の人間との時間外に映画を2本観られるお金を払わなければならんのだ。
 ちなみに、5,000円もあれば、1ヶ月間新聞の朝刊を購読できる。なんならプラスコンテンツ付きで読める。YouTubeプレミアムも数ヶ月加入できる。ランチは3回くらい行ける。
 しかも飲み会には、多数のお約束が存在する。若手は出入口付近に座る、若手が率先して大皿を小皿に取り分ける、乾杯の時グラスは上司よりも下の位置に、上司のグラスがあいたらすかさず注ぐ、食べる速度は周囲に合わせて云々。
 茶番の極み、トップダウンの権現。やってられるか。
 だから残業代を支払えというのだ。時間外の感情労働に対価が必要だ。
 人の時間をなんだと思っているのだ。

 それなら、参加費用は会社持ちでどう? と言われても、これまた絶対に行きたくない。そんな不毛な時間に身を削りたくない。参加費用が会社持ちで、なおかつ残業代が相応に発生するのであれば、行ってもいい。
 相応とは、私の感覚では、せめて1時間あたり2,000円〜と考える。

 あなたら、家に帰りたくないだけだろう?
 たとえ家庭でみじめでも、寂しくても、職場にいて、仕事関連の仲間に囲まれていれば、上は、下からよしよしされてお山の大将ができる構造になっている。

 若手の気持ちに寄り添ってか、いつだったか、自分も、若い頃は飲み会楽しくなかったけど、だんだん楽しくなっていったもんだよ……と語る上司と出会うことがあった。
 今、すごく恥ずかしいことをおっしゃいましたが、ご自覚はありますか? と、喉元まで出かかった発言を飲み込んだ私。偉い。
 断言する。歳を重ねると飲み会がだんだん楽しくなったのは、自分が歳を重ねて、忖度する側から忖度してもらえる立場になっているからであって、飲み会に慣れたからでは間違ってもない。
 履き違えるな。己の身を省みよ。

2 ノリが嫌い

 酒が入ったり、普段ではない場所だったりで気が大きくなると、自他の境界が曖昧になってぶっこんだ話をしがちである。
 そんな「飲みニュケーション」に物申す。

 飲まなければ腹を割って話せない内容は、私感では、話すべきでない。他人に聞かせたり、ましてや他人を根掘り葉掘りするものではない。
 そんなに自分の人生がおもんないんですか? そんなに他人の人生が気になりますか?
〜意見には個人差があります〜

 それで素顔が分かると言われても、恐れ入りますが、職場の人間の素顔なんてどうでもよくないすか? 素顔を知るのは友人レベルからで良くないすか?
 誰が父親であろうと、母親であろうと、子供がいようといまいと、独身であろうとなかろうと、趣味がどうだろうと、職場の誰を疎ましく思っていようと、誰にゴマをすろうと、もうどうにもとにかく興味がない。
 ていうか、建前でしょ?
 逆に言えば、私の素顔もべつに知られなくていい。むしろ職場の場合は、素顔が弱みになる場合の方が多いと思う。職場での自己開示は、すればするほどろくなことがない。
 絵が描けるというと絵を描かされ、歌が好きというと歌を歌えと言われる。独身で楽しそうにしていると、無限に時間があると思われて良いように使われ仕事量が増える。呼び出しの第一選択になったりする。あの人なら頼みやすいからと片っ端から声がかかり、あの人なら掛けやすいからとばんばん休みの日に電話を入れられる。
 私は家でやりたいことがたくさんある。
 同じようなことが好きな友人をつくり、自分の人生を楽しむためにいろいろと趣味があるのであって、絶対に職場の人間の飯の種になるために芸を磨いているのではないし、あなたたちに時間を提供するために独身を選んでいるわけではない。

 仕事さえきちんとやればいい。やることやって定時で帰ろう。

 なお、酒があるから楽しい、酒がないと楽しくないと言うのは、自らがコミュ障ですと言わんばかりであることを自覚したほうがいい。
 なぜならば、酒を介さなければ楽しく過ごせない人間関係は、はっきり言ってまやかしなので。

3 出し物(余興)をさせようとするのが嫌い

 おいおい昭和か? 令和だぞ? とツッコミどころ満載だが、医療職場だけ? 企業さんも共通しますか?
 なぜか感覚がいつまでもアップデートされず、出し物(余興)が大好きである。
 コロナ禍を挟んで、ついにアップデートされるかと思いきや、ぬらぬら蘇ってきた「出し物は……」。

 ゾンビかいな。
 それとも出し物依存? 薬物依存者は、薬が抜けて何年経っても、頭がハイな感覚を覚えていて、キメられるものならキメたい思いと隣り合わせになり、自分との戦いを強いられるが、そういう感じ?
 そもそも、出し物がないと場が持たないなら、それこそ完全に飲み会をやる必要なくないすか? いっそやるべきではないのでは?

 特別養護老人ホームなどでは、利用者に対して職員がレクリエーションで忘年の出し物をするというのは聞くが、そうではない。内々で行う。
 あほか。
 職場の人間の○○ダンスとか変な漫才とかを見て何が楽しいのか理解ができない。楽しいと思ったことがない。
 この数分間をするために、この人たちは、残業代なしで、業務でないことに自分の時間を何時間犠牲にしたろうかと哀れみの感情が先にわく。
 湧かないのか? 普通の人は。
 裸芸はもっと面白くない。しまえ。裸を晒すのは、医療機関受診時やジム、あと温泉や泳ぐ時くらいにしておけ。というか、ああいう席で脱いでもいいのは、小島よしおさんと安村さんくらいでは。
 歌が聴きたいなら、セミプロで活躍している人はたくさんいるから、然るべきお金を払ってその道の人を呼べばいい。
 ダンスもだ。大抵は上手い人がセンターになるが、その周りを固める、恥じらいや中途半端感のある人間の踊りを見ても何も面白くないし、なんなら痛々しい。幼稚園のお遊戯会ですか?
 顔を売れだか風通しだか知らないが、とにかく身内に出し物を強要するな。

 上の世代は、クソだと思いながらも、風潮が「クソ」と言うことを許さなかったから、我慢してきたのだろう。だがしかし、自分たちが我慢してきたからといって、それを通過儀礼のようにするのは違う。
 そういう場でプライドを捧げてこそ顔が広まって仕事がやりやすくなるもんだというのであれば、それこそ昭和だ。思考がおかしい。
 至急令和にアップデートが必要だ。
 出し物(余興)をしろというのは、上司と部下の逆らえない立場を認識した上で言うのだから、パワハラになるのではないか? と思っていたら、最近、余興がパワハラ認定された判例を読んだ。いいぞいいぞ。

 海外では、プライベートを大切にし、オンオフをきっちり切り替えるので全体主義的な飲み会はやらない。ホームパーティーなるものは、気心知れた友人たちとのためにある。
 というか、あちらは普段からよく話している。だから全体主義的な飲み会が必要ないのだろう。
 コミュニケーションを世界水準に高めよう。忖度を無くそう。
 そうすれば、あいつは何を考えているのか分からないから飲み会に呼ばなきゃな、とか、今度飲み会で腹を割って話さなきゃな、いい感じに溶け込んでもらうために、なにか出し物をしてもらわなきゃなという、魔の思考を葬り去れるのではと思う。

4 そもそも酒そのもの及び酒の入る席が嫌い

 私自身、酒を飲みたいとすら、じつは微塵も思ったことがない。
 親戚の集まりで、尻に根が生えて立ち上がりもしない男どもが、酒を飲むと気が大きくなって、普段なら絶対に聞かないようなことや、セクハラすれすれな発言をぽんぽん口にするあさましい姿を見るにつけ、変な臭いのする液体に憎悪ばかりが膨らんでいた。
 女性にしても、おじのパートナーがよく酒に口をつける人だが、、時間の経過とともに、媚びへつらいながら、つんざくような、下品で甲高い笑い声をあげるようになる。
 心底気色悪い。
 20代前半の、大学を卒業したくらいのころ、はじめての職場で酒は飲めないと言うと、(頭がおかしい)上司から、大学生のときに飲まなかったの? サークルですすめられ、本当はいけないと知りながらも未成年でたいていは飲んでみるもので、それで訓練して慣れたころに就職があるもんだよ、なんて言われたこともあったっけ。
 断言するが、私は酒に口をつけたことがない。正確には、飲んでみようと試したこともなければ、酒を試してみたいと思ったことすらない。
 成人の日には、新成人が酒ウェ〜イ!! と大騒ぎする映像がテレビで流れ、昔ほど酷くはなくなったものの、未だ市場では、酒とタバコは大人の象徴のようにマーケティングされているにもかかわらずである。
 泡をちょっとなめてみるか? と親戚の席で伯父に誘われ、なんだコイツ、子供だからってナメやがってと思ったことならある。
 叔母の家に遊びに行った際、気に入られたのか帰り際にお小遣いを握らされるも、叔母が私に何を企んでいるのか気持ちが悪く「こんなにいただけません」と書いて置いて帰ったエピソードがあるほど、子供のくせにかわいげがないと定評があった私は、むろん断った。

 そりゃあ、飲むことを断らなければならない流れでは、酒をいちど飲んだことがあるが、酷く耐性がなく、ほんの僅かで救急車を呼ぶはめになった、という、どこからもどうしようもない理由を前面に出す。どうりでパッチテストで真っ赤になって。体質的にアウトですよね〜……とかいう当人しか真偽不明の根拠付きで(ちなみに、パッチテストは個人的にやったことがある。ほんのり赤くなったが、飲めるには飲める判定であった)。
 車の運転をするから、は、送迎を呼ぶから大丈夫だよ! と、封じ込められる可能性があるので、理由としては弱い。救急搬送のインパクトたるや。
 そこまでしないと「飲みたくない」「飲まない」はノリが悪いとか、付き合いが悪いとかと捉えられる空気感は少なからずあろう。

 めんどくせえ。

 アルコール依存症関連の誌面で知ったが、私のように、体質的には飲めるけど、酒をあえて飲まないライフスタイルを選択するスタンスは若い世代を中心に増えており、”ソバーキュリアス”と言う。
 Sober(しらふ)とCurious(好奇心が強い)の組み合わせらしい。

「飲み会」でなければ、何ならいいのか。

 とはいえ、他者と近づく上で、食事の席が必要になることもあるだろう。
 そこで、全てをつっけんどんに跳ね除けるわけではないということを表明しておきたい。
 こういう形式ならいいよ、は、私の中に明確な基準がある。

  1. 絶対、就業時間内に完結すること
     そのために、規定の休憩時間を多めに取得させられる(就業時間をその分延ばされる)のはNG。いつも通りの時間内でお願いする。

  2. 酒類の提供がなく、純粋に食事だけを頂けること
     酒を出すな。
     それから、ケータリングサービスも進化している。提供されるものは、栄養バランスよく、おいしいものを頼む。見た目ばかりが良くてもしょうがない。

  3. 出し物(余興)を誰もしないこと
     "させない"はもちろんのこと、"誰もしない"のが重要だ。哀れみの感情が優先する、死ぬほど興味がない出し物(余興)に、それなりにノリよく反応しなければならないのも疲れるからである。

  4. 会場の調整役をさせるチームには、食事会の調整も業務として、業務内に完結するように仕事を組むこと
     業務時間外で調整させるなら、相応のインセンティブを支払うべき。感覚的には、10万円程度は貰えないとやりたくない。

 そんなところで、よろしく頼みます。

クロージング

 私は、世間体最重視で、何かしら自分の意見を発信すると全て否定してかかる過干渉タイプの両親をもつ。
 そこに気がついて、自分の思いを大切にし始めてからは、本音を話すと説諭されるか否定されるかで傷つけられるだけなので、両親とは距離を置き、絶対に本音ベースで話さないを徹底している。
 就職したころ、そんな両親にぽろりとうっかり飲み会の愚痴を話してしまったある。
 案の定「ありがたいと思いなさい。かわいがられているってことだよ」と諭され、内心激昂しつつ、しまった。親に理解してもらえるはずと期待したらダメだった。と、失望した。
 今思い出しても腸が煮えくり返る。
 は? かわいがられている?
 意味が分からない。
 自分たちの楽しみのために、あるいは自分たちも通ってきた道だからと、優位な立場を利用して、断りにくい若手を無料コンテンツとして消費しているだけだ。

 私はしたくない。私以降にもさせたくない。

 飲み会は昭和の遺産にしよう。悪しき慣習は葬り去ろう。
 仕事をする上で必要な親睦は業務中に深めよう。歓送迎の気持ちも、何もかも、業務中に伝えよう。
 べつに飲み会があるからって涼しさが納まるわけではないし、親睦が深まるわけではない。

 ギリギリまで返事を渋り、当欠する予定にしていた本年度の忘年会は、昭和の名曲を愛する仲間たちと盃を交わす夕べの予定がたったので、さっそうと出欠表にバツをつけた。
 出し物文化については、振られるたびに真顔で言っている。

「え? 今、令和ですよ?」

 これでもやらせたがるのであれば、出し物(余興)がパワハラ認定されたケースを読むように言おう。
 職場を変わったが、最初から飲み会に来ないキャラクターを確立するほうに全力を注ぐのも悪くない。

 飲み会の幹事を若手に振るのも恒例か?
 来年だろうと再来年だろうと、私を幹事にしたら、恒例だろうが何だろうが、絶対に全ての飲み会を中止とする。
 百歩譲って、調整したとて、参加はしない。

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