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本の紹介『これが「教養」だ』

「教養は身につけた方が絶対良いことがある!」をモットーに教養を追求しているすーしゅんです。

その一環でまた教養をテーマにした一冊を読んでみました。これまでに読んだ数冊の教養についての本は、おそらく多くの人が教養に対して抱いているイメージ「読書」「人格者」「知識」といった要素が盛り込まれていましたが、本書は「そんなものはいらないのでございます」とバッサリぶった切っています。

そこで、今回は個人的に新しい発見となった点を紹介します。

その前に、教養とは何なのか?という難題に本書は「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」と答えています。それを前提に進みます。

■新しい発見①教養の歴史


著者は教養が生まれたのは18世紀後半のことだと主張しています。元々、人々の家庭と仕事は一体となっており(家族ぐるみで仕事をしていた)、それを王が支配していました。

18世紀後半、ヨーロッパの都市において市民社会が成立し、一人の人間が3つの異なる側面(家庭・仕事・政治)を持つようになりました。そこで起きてきた問題が、それらのバランスをどう取るかという問題です。

それらのうちどれか一つに重点を置きすぎてもいけませんね。ちょっと違うかもしれませんが、僕が奥さんとの時間をないがしろにし、読書ばかりしていたら家庭が成り立たないことに似ています。失礼。

そういった事情から必要として生まれてきた能力が著者の言う教養「公共圏と私生活圏を統合する生活の能力」であるということです。

■新しい発見②読書、知識が不要?


教養と言ったら知識や読書といったものが真っ先に思い浮かぶところを、そうではなくもっと狭義の意味しか本来は持っていないと著者は主張しています。

前述の教養の歴史を考えれば、確かに必須事項であるとは言えない気がします。

そこで、なぜ教養にそのようなイメージがついたかというと、著者曰く

「教養の歴史とは、教養の発展と展開の歴史ではございません。反対に、教養の複雑化と変質、そして無害化、さらに奇形化の歴史ですらあるんであります」 P141

と言っているように、本書では時間の経過と共にあれこれと脚色された結果であることがわかります。

■読了後の感想


著者は哲学者だそうで、それでも一般向けにわかりやすく書いてくれているのだと思いますが、僕には正直小難しい話に思えました。

ただ、読み通して漠然と感じたことがあります。本書で語られる教養とは、要するに折り合いをつけることが大切だということです。

人は家庭、職場、公共の場などの生活圏の他にも、様々な会や団体に関わっています。こうしたネット上ですらそれと同様なコミュニティが形成されていることと思います。「ネットだから」と、傍若無人な態度を取っていると炎上、締め出しをくらうことでしょう。

そうした人との関わりの中で当然ぶつかりあったり、噛み合わなかったりすることがあると思います。そこで必要になるのが折り合いをつける力=教養というのが著者の言いたかったことなんじゃないかなと無教養人は思いました。

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