『積ん読のすすめ』【序章】
「いつか読もう。できるならすぐ読もう」と思って買った本が山積みになっている。
俗に言う積ん読というやつだ。
何事にもはじまりというものがあって、この積ん読も最初は数冊積んだだけの可愛らしいものだった。
今となっては、デスクに置ききらず床に無惨に、そして乱雑に積み上げられている。妻の視線は冷ややかだ。
読書について書かれている本において、積ん読を推奨している本は実に少ない。まだ自分の知見が狭いのは言うまでもないので、数年経った時に「意外とあったぞ」と自分で思うのかもしれない。
妻の視線が物語っているように、一般的に積ん読はどちらかというと有害なもののように思われているのは間違いではないだろう。
現に、紀田順一郎氏の著書『読書の技術』には「意識せざる死蔵」と評されている。また、丹羽宇一郎氏の著書『死ぬほど読書』では「積ん読は最終的に読まない確率がかなり高いので、やめたほうがいい」と言及されている。
しかし、そうであれば何とか虫のように自らせっせと買い込んで積み上げているこの本の山は意味のないもので(自分の努力も)、むしろ有害かもしれないとなれば、やはり黙っておくことはできない。
ということで、積ん読の有効性を信じて疑わない人のために、そして、何とか虫のように涙ぐましい努力をしている自分のために「積ん読」の濡れ衣を晴らすことを決意した。
ついでにもう一つ主張したいことがある。
積ん読はれっきとした読書の技術である
と、いうことだ。そうは言ったものの、思いのほか文量が多くなってしまったので急きょ連載ものにすることにした。
最終章を迎えた暁には、安心して積ん読してもらえるようになると思うので、気長にお待ちいただけたら幸いである。
■はじめに
これから書き進めるにあたり、前提として紙の本であること、書店や古本屋で買ったものであること、以上の2点を挙げておく。
理由としては、電子書籍では物理的に積ん読ができないのと、Amazonなどの通販では欲しい本をピンポイントで買うはずなので積ん読されずに消化される可能性が高いからだ。
(Amazonで買った本を大量に積ん読しているようならかなりの猛者かもしれない)
なお、書店と古本屋はあわせて便宜上「本屋」とする。それから本来は「積読」と表記されるようだが、初めての人にもわかりやすいように本連載では「積ん読」と表記することにした。
【第1章】へ続く
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