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本の紹介『教養の力 東大駒場で学ぶこと』

教養と一口に言ってもどういうものかわかりづらいものなので、本書ではまず「教養人をイメージする」「辞書には何と書かれているか」を具体的に見ていきます。

そうしてわかることは、教養には様々な定義、意味があり、単純な説明ができないものであるということです。そこで、本書は教養の三つの側面に注目します。

一つ目、は学問や知識としての側面。
二つ目は、教養を身につけるための過程としての側面。
三つ目は、学問や知識を身につけることによって備わる心の広さや理解力、人格としての側面です。

そのうち一つ紹介します。

■学問や知識としての側面


一つ目の側面の説明をする上で、簡単に教養の歴史に触れながら教養の基準と言える「共通知」について語られています。ここでの「共通知」とは教養人、教養を習得しようとする人が当たり前に学んだり知ったりしておくべきとする知識のことです。

ここでは共通知として古典的西洋文学や「青春の三種の神器」といわれる『善の研究』『三太郎の日記』『愛と認識との出発』の三作品などを採り上げられています。

しかし、著者はそうした教養の共通知が現在は崩壊したとする一方で、情報が膨大にあふれる現代において必要なことは、知識を獲得しようとする態度や学びの環境が大切だと言います。

■読了後の感想


冒頭に紹介したように、「教養人をイメージ」「辞書での教養」そして「教養を一口には語れない」という結論は、僕が『庶民が考える教養』の記事を考えるにあたり、同じ発想、同じ結論に至ったことだったのでつい嬉しくなってしまいました。

すみません、ここは無知、無教養な僕が1ミリでも東大の先生に肩を並べられたんじゃないかという自慢なので大目に見てください。

冗談はさておき、僕には小難しいことが多かったので、理解に苦しむところも多く、「結局はエリートのための教養なのか?」と早とちりしてしまいましたが、著者が本当に言いたかったことは「誰にでも努力次第で教養は身につけられる」ということでした。

これまでの教養を支えてきた人物や作品などふんだんに紹介され、バランスよく教養について語られているので、新書一冊でこれだけ学べるのはとても有益な一冊だと思います。

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