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コロナショックと教養 【フェイクニュース編】

はじめに:
記事に該当する人々を責め立てることが目的ではないことを予めご了承ください。この状況下において、あくまでもより良い状況を目指すために個人的意見として書きました。

2020年4月20日現在、新型コロナウイルス感染症は終息の兆しを見せていません。一連の出来事や影響をコロナショックとするならば、それらにより数々の混乱がもたらされました。

一見、「コロナショックと教養の何が関係あるんだ」と思われるかもしれませんが、私的に教養を学ぶ中で改めてこのような時だからこそ教養が必要だと感じました。

本論に入る前に、教養の意味を明らかにしておきたいと思います。教養には様々な意味、定義があり、一口には語れない向きもあるので、ここでは以下のものとします。

■ここでの教養の定義

定義①
豊富な知識・道徳的な人格・心の広さを備えた状態

補足として、道徳な人格をつくり、それを判断するためには行動により周囲に示すことが欠かせません。そこで、以下の意味も追加します。

定義②
世間をより良くするために、状況・立場に応じて適切に振舞える対応力

以上の教養をもとに、新型コロナウイルス蔓延の中で起きた事例を見ながら教養の必要性を述べます。

■フェイクニュースで起きたこと


日本にはまだ感染者が広まる前の1月下旬、様々なフェイクニュースが飛び交っていました。自分の記事でも採り上げたのでここでは内容には触れませんが、続いて世間を大きく賑わせたのが「トイレットペーパー騒動」。これには困らされた方も多かったのではないでしょうか。

真偽は定かではありませんが、「トイレットペーパーは中国で生産されているからなくなる」旨のデマを流した発信者からそれを鵜呑みした受信者が周囲の人に流し拡散していきました。その結果、スーパーや薬局、ホームセンターなどトイレットペーパーや関連商品を取り扱う店舗において購入を求める人々が殺到し、ペーパーを手にする人が行列をつくりました。

そこで起きたことがそのデマ情報を知らなくても、その行列の異様さを感じたお客は当然「私も買わなきゃ」という心理状態に陥り、更に買い求める人が増えました。


■フェイクニュースと教養


こういったことは安易な情報に左右されないように、正しい情報に基づいた落ち着いた行動が要求されます。そこで、上記の教養の定義に照らし合わせるのならば、豊富な知識があれば適切な対処ができたと考えられます。

知識を辞書で引くと、「事物についてのはっきりとした認識」とあります。「はっきりとした」とある以上、そこに正確さが求められるのは言うまでもありませんね。

それにより、残念ながらデマや事実でない情報を糧に知識とすることはできません。豊富な知識を得るためには、膨大な情報から正しく、質の良い情報を選び取る能力が求められます。

先日読み終えたばかりの『教養の力 東大駒場で学ぶこと』から、「膨大な情報であふれる現代には正しい情報を選別する能力も教養の一面だ」ということがわかりました。

これらを今回の件やこれから出回るであろうデマを例に具体的に落とし込むと、以下のようになります。思考実験だと思ってご覧ください。

①デマ(かもしれない情報)が届く

②まず疑う

③本当か調べる(その際、信頼性の高い情報を参照)

④真偽がわかる

⑤拡散しない

結果:デマは広まらないので、日常は混乱しない(例:ペーパーなくならない)

これは少々安易かもしれませんが、一人でも多くの人が以上のように対応できれば、快適な日々を継続できる可能性は上がったのではないでしょうか。

また、定義②の「状況に応じて適切に振舞う対応力」に照らし合わせるのならば、「うちにはまだあるから買いだめはやめておこう」、「本当に困っている人のためにそちらを優先しよう」など思いを馳せ、思いとどまることができたかもしれません。

以上がフェイクニュースに関連して教養が必要だと感じた理由です。次回は「自粛要請に伴う行動」に焦点を当て、教養の必要性を書こうと思います。

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