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こんにちは(思考の軌跡1)

最近思ったことを綴ろうと思います。

twitterをやっているんですが、気づいたのは
ある任意の界隈では、その界隈の用語を知らないとある意見を主張した際に、「それってそうじゃなくて、○○(界隈用語)ですよね。そのように言った方が良いかと。」みたいな反駁のされ方が散見されているということです。(これは、自分がそうされたわけじゃなくて、フォローしている人がある有名人のツイートにそうリプライしているのを見て思ったことです)

言葉じりでの主張はその通りなのかもしれないんですが、知識で殴るのは方法論的に良いのか・・・?と思ってます。

ある事柄についての「正しい」っていうのは、「その人が正しいと思っていること」が(その人にとっての)「正しい」になるわけで...っていう前提と、もちろんドメインの知識はあって然るべきなんですが、じゃあ「知識がある」って具体的にはどういうことなんだ?自分が知識があると思えば、それは「知識がある」ということにならないのか・・・?っていう持論があるのですが、それを踏まえると、

上記の反駁をする側の意図として、「相手側の知識を是非とも充足させたい」的なものがあれば全然良いのですが、単純な知識マウンティングだけだったら、やってること、ゴリラの縄張り争いと変わらなくない...?って思ってます。


そう考えると、やっぱり筋トレ界隈と競プロ界隈が好きです。



完全に別の論点で最近思ったこととして、論理か感情のどちらが重要か?みたいな議論に対して、持論としては「どちらも重要だけど、少なくてもある思考において先行するのは感情」っていう言葉を残したく。
鶏が先か卵が先かのような話なんですが、多分感情があって論理のベクトルが決まると思っていて、つまり、Aという意見が好き→Aという意見に賛成しよう→Aという意見を賛成するための論理を思い浮かべる→Aがやっぱり最善だと再認識するっていう手数を踏んでいるのかなと思っています。

って考えると、やっぱり人からの好感度(≒愛嬌力)みたいなのは重要なんだろうなって思います。

でも同時に、上記好感度を高めることのみが目的であることについては、それは他者の人生を生きてしまっていることに他ならないので、自分の存在理由、レゾンデートル的なものを自分に置いた上で、好感度が高いか低いかの分水嶺よりも少し好感度が高い側の自分でいたいと思ってます。


校正とか全くしてなくてごめんなさい。
その時々の思考の軌跡みたいなものがやはり大事だと思ったので、定期的に強く自分の思考の型に残っているものについては適宜noteで綴っていきたいと思います。


ここ3週間くらいは本当になんのやる気も出ず、息を吸うか吐くかのどっちかしかしていなかったのですが、今日からスプラコンペを始めようと思います。データ分析経験がなさすぎて、チュートリアルですら苦戦してしまっているのですが、頑張ろうと思います。

あとは、最近読書(インベスターZ、コンサル1年目が学ぶこと、factfulness、World End Ecomnomica)とジムに言ってました。

誰かに使役されることが現時点ではあまり好きでもないので、将来のためにも自分一人でできることをどんどん増やしていきたい。

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