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2年間の大学院生活を振り返る

今,なんだかぽっかりと,こころに穴が空いたような気持ちでいる。

大学院生活は,本当に最高だった。学びは,めちゃくちゃ面白かった。レポートも修士論文も苦ではなかった。

ものすごくたくさんのことを学んだ気がするのだけど,その変容は今は自分では自覚できない。

ただ,今,「私は傷ついているんだな」とも感じる。

それは,大学院生活で,私が私でいることは難しかったこと,自分自身の意見をそのままに言えなかったことで,抑うつ的な気持ちになっていたことに一因がある。

院生活では,”社会人”であり,”教育の人間”であり,時に”母親”であることを求められているように感じられて,ずっと息苦しかった。ストレートの院生からの「教員転移」「母親転移」を引き受けていることを自覚しながらも,自分からそれを演じてしまった。結局,その壁を壊すことはできなかった。

それは,私だけに起きていたことではなく,社会人として入学してきていた人たちは少なからず同じような経験をしているようだったし,そのことがトラブルを引き起こすこともあった。ストレートの院生は「大人は傷つかない」「父親(母親)は傷つかない」と思っているように見えた。本当はぶつけたかった”親への想い””教員への想い”をここで再現し,”タフであるはずの社会人”にぶつけているように私自身は感じた。

私自身も,ストレートの院生より歳が上であること,教育的な何かを教え導くという名の”優しさ”を履き違えて,自己犠牲的なあり方を選択してしまっていたのだと思うし,それは真正面から向き合うことを恐れる気持ちでもあったのかもしれないと思う。本当は「傷ついた」ことを伝えてもよかったのだし,馬鹿にされたら怒ってもよかったはずなのだ。なのに,”物分かりの良い”ふりをしてしまった。


さて。

これからどうしたら良いのだろう。

正直,今は,途方に暮れている。


河合隼雄先生は,スイスに留学して帰国する際に「結局ひとりも友人ができませんでした」と師事していた先生にお話ししたというエピソードを読んだ記憶がある。あるいは,夏目漱石は英国に留学した際に,学んでいた自身の英語が通じなくて神経症を患っている。

今,これらのエピソードを読んで心強く思う私は,やはりある意味で”挫折感”を味わっているのだと思う。

コロナ禍での学生生活で,一度も飲み交わすことはなかった。私はそこに”居場所”を見つけることができなかった。関係性を構築することができなかった,という無力感がある。

もちろん,個人的にはとても素敵な出会いもたくさんあった。学ぶこと自体は本当に貴重な体験だったし,学んだことは興味深く,味わい深く,面白かった。

それでも,今は,”本当にこれでよかったのだろうか”という抑うつ的な気持ちでいる。実際の現場を知っている人間として,本当は”ペーパー上,理論上では説明できない”葛藤も知っていた。でも,学ぶ場合には,それを一旦置いておかなくてはいけなかった。「そうは言うけど,現場では理屈通りにはいかない。」とは言えなかった。それに,きっと知らないこともたくさんある私は,”まず,知る”必要があった。

ファンタジーを信じられることは幸せなことなのだろうと思う。社会人の私には,そのファンタジーが足りなかったのかもしれない。

大学院で対等に議論することはできなかった。物足りなさが残る。

最後の最後まで,私は”畑違い”の人間だった。本当は,そんなこと,ないはずなのに。

それでも,2年間を振り返って,本当に本当に本当に行ってよかったと思う。支えてくれた全ての人や起きた全ての出来事に感謝している。

4月から現場に戻っている。何を感じるのか,どんな風景が見えるのか。同じ場所に立つことで”変化した”自分を感じ始めている。またここで,そのことを記録したいと思う。


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