手品と漫才の磨き方から、授業づくりに活かせることはないか?

□目次
▼手品と漫才
▼学校の授業

▼手品と漫才

先日、マジシャンのMr.マリックのインタビュー記事を見つけた。
「同じ内容のマジックでも、話し方次第で何倍もすごいショーにできる。」のだそうだ。話し方に加え、もちろんマジックのタネを考え、話す際には人の心理をついたり、色んな工夫をしてショーを作り上げているという。

また、かまいたちが2019年のM-1決勝に至るまでをラジオか何かで聞いた。持ち時間は4分。
UFJのネタは元々10分間だったが、それを舞台での反応を見て修正…を繰り返し、面白い部分を凝縮して4分に収めたという。

手品も漫才も、それ自体が人を楽しませるコンテンツ、エンターテイメントである。

ただ、コンテンツの質の良さだけではお客さんを惹きつけることはできない。どうやって面白く見せるか。この人達は見せ方を猛烈に研究し、実践と修正を繰り返している。

エンターテイメントである手品と漫才でさえ、
『コンテンツ』と『表現』両方の質を高めて高めて、やっと、お客さんが見てくれるのだ。

▼学校の授業

これらを学校の授業に置き換えてみてハッとした。そもそも授業内容は一般的に面白いものではない。加えて眠くなる話し方をする先生がいたりする。コンテンツそのものが面白くない上に話術もイマイチなんていうことがほとんどではないだろうか。

手品師と漫才師は、『コンテンツ』も『表現』も現場でお客さんのリアルな反応を見て精度を上げるためにめちゃくちゃ努力しているのに、学校の授業はどうだろうか。

面白くない『コンテンツ』とつまらない『表現』で出来上がった授業中に、もし寝ている子がいたとしたら…。「ちゃんと聞きなさい!」「寝てないで起きなさい!」と言う、もしくは思う、先生が大半では…?

エンターテイメントの世界でいうと、それはまさにお客さんのつまらないという反応、ということになるのではないか。

社会に出ると、反応が返ってこないようなコンテンツは廃れていく。面白くないものに目をとめ耳を傾けてる時間なんてない。私は営業の時に痛いほど経験した。

手品や漫才も、コンテンツと表現の両方を磨いているように、授業ももっと磨けるのではないだろうか。

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…と、こんなことをぼんやり考えた。なんとなく思ったことだから、もしかしたらコロッと変わる可能性もあるけど一応残しておこう。

教育現場に戻ったら、この考えがちょっとでもヒントになればいい。…伸びしろだらけだ。

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