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「ちゃんと見てるよ」って嬉しい

noteやYouTubeをやっていると、予期せぬところから、

「ちゃんと見てるよ」って声をかけてくれると嬉しいって話しです

昔は、その言葉が半信半疑で逆手にとっていました。どこか社交辞令のように感じていた。

自営業になってから、崖モードで自分にムチを打ちながら、
追い詰めて頑張って張りつめいていた時は、
疲弊し眠気に襲われいた…
見ているようで、見ていなかった。集中していなかった。

「ちゃんと見てる(怒)」って
いつもお疲れモードを、叩き起こしてくれたのが娘でした。

公園で永遠に、逆上がりを自慢気に見せてくれたり、
何か得意気に、周りの友達にも、惜しみなく教えていることに
ニコニコしてご満悦な娘がいた。

ダンスの時には
本番の演技はレクチャーしながら全部見せてくれました。

ダンスを見てもらえること、教えていることにニコニコご満悦だ。

僕の姿を見て、「ちゃんと見てる」って
眼差しを感じてドキッとして確認して頷く。

やっぱり
『見てくれる人がいる喜び』

『教えられる人がいる喜び』

は大人も子どもも、皆同じなんだと思う。

「ちゃんと見てる」を素直に認められると
豊かにになる。

だから、僕は大切な人のことを
ちゃんと見ていたいし、
ちゃんと教えてもらいたい、

「ちゃんと見てるよ」
「教えてくれる?」

たった短い言葉でも意味がある。

大切な人にこれを伝え続けることが

『大切なことを、大切にする』
のひとつの形なんだと思う


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