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僕が通ったカルチャーたち(音楽編)

一応は小説を書くために立ち上げたこのアカウントだけど、絶賛行き詰まり中。「どうせ下手なものしか書けないんだから気負わず発表しろや」という自分と、「最初の一作なんだから気合い入れろや」という自分がぶつかり合って、膠着状態になっている。

あまりにアカウントを休眠状態にするとそのまま風化させてしまいそうなので、また好きなものの話を書こうと思う。前回の終わりには「次は漫画編」と書いたけど、ガン無視して音楽の話をする。いつだって予定は未定だ。

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父は若い頃に音楽をやっていて、姉もピアノ教室に通っていた。音楽一家というほどのものではなかったが、音楽に親しむ下地はあった。家には60'sから80'sのレコードやらCDやらテープがそれなりにあり、エレクトーンやアップライトピアノも置いてあった。

だが、僕は姉のピアノ教室に母が付き添う→自動的に僕も連れていかれるのがイヤでしょうがなく(だってあまりにヒマだもの)、音楽教室そのものを嫌うようになった。いちど体験レッスンのようなものをさせられたが、終始ムスッとして、最後には逃げ出した記憶がある。

そのせいか、子どもの頃は音楽に対して人並みの興味しか持たなかった。

繰り返し聞いた音楽といえば、親に頼んでレンタルショップで借りてもらった嘉門達夫の「替え歌メドレー」と「ハンバーガーショップ」くらいのもの。あとはテレビで流れてくるポップスを順当に好きになっていった。初めて自分で買ったCDはMr.Childrenの「名もなき詩」という、僕らの世代としてはベタ中のベタだ。

だが中学生の時、友達と一緒に行ったゲームセンターで「ドラムマニア」の筐体を初めて触った時に、それまでに感じたことない衝撃を感じ、あっという間に小遣いを使い果たした。「体に電流が走った」とか「自分のやりたいことがわかった」というこれまたベタな言い回しがあるが、自分にとってはこの瞬間がそれだったと思う。

ゲームセンターに行っては持ち金を全て100円玉に変えて使い切る僕を見かねて、親は専用コントローラーつきの家庭用ソフト(PS2)を買ってくれた。それを遊び尽くしたころ、ちょうど高校に上がるタイミングで、親戚の入学祝いやらお年玉貯金などをかき集め、Rolandの電子ドラムを買った。

そこから、ドラムを通して音楽に没頭する日々が始まった。

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はじめは家にあった音源をとにかくMDプレイヤーに詰め込み、日がな聴きまくり、とにかく聴こえた通りにドラムを叩く練習をひたすらやった。できているかどうかはともかく、自分なりに真似をした。幸い、教材は家にいくらでもあった。小さい頃はさして興味のなかった音源の数々が、宝の山に見えるようになった。

なかでも勉強になったのは、ハードロックの音源だった。ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック、ディープ・パープル、レッド・ツェぺリン、リッチー・ブラックモア、ヴァニラ・ファッジ。当時すでに古典とされていたようなロックの偉人たちの音源を、一通り聞くことができた(父親はビートルズ世代で、これらのアーティストたちにはあまり思い入れがなかったようだけど)。

最新の音楽を見る目、聞く耳も変わった。なんとなく「一番好きなアーティスト」に挙げていたMr.Childrenは、研究対象となった。テレビの歌番組を録画して、ドラムが映っているところを食い入るように見るようになった。

バンドも組んだ。楽器としてのドラムのいいところは、やっている人間の絶対数が少ないからすぐにバンドに誘ってもらえることだ。

当時の高校生ならだれもがやりたがったHi-STANDARDのコピーなんかをこなしながら、年上の人から誘われてスカパラっぽい管楽器のいるバンドに参加したりもしていた。ちなみに、ドラムを始めたきっかけがゲームだったということは言わなかった。なんとなく恥ずかしかったから。

初めてライブに出た時の興奮はいまでも覚えている。そのバンドは10人の大所帯(前述のスカパラっぽいバンド)だったので、呼んだ友達だけでライブハウスが満杯になった。肩がぶつかるほど満杯になった人々が、押し合いながら自分たちを見る。僕たちの奏でる音に合わせて人々が揺れる。

日常がどんなに冴えないものであっても、ステージにいる間だけは人々の視線を集められる。その瞬間だけはスターになれる。緊張と興奮が重なって生まれた手の震えの感触は、いまでも体に残っている。

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大学では軽音サークルに入り、オリジナルのバンドを組みつつ、ありとあらゆるコピーバンドをやった。ここでもドラムであることが生き、先輩同輩後輩問わず、イベントごとにバンドに誘ってもらえた。

当時やったコピーバンドを思いつくだけ挙げてみる。邦楽ではMr.Children、椎名林檎(東京事変を含む)、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT、ナンバーガール、ZAZEN BOYZ、SHAKARABITS、SNAIL RAMP、the pillows、奥田民生、Syrup16gなど。他にも無数にある。当時の軽音サークル所属ならみんながやりたがるものをひと通りこなした。ちなみに、演奏後に後輩の女の子にいちばんワーキャー言ってもらえたのは椎名林檎だった。

転じて洋楽では、ハードロックかやオルタナ、ヘヴィメタル寄りの重ためのものをやった。レッド・ホット・チリ・ペッパーズやMR.BIG、ニッケルバックに始まり、オジー・オズボーン(ブラック・サバスを含む)、パンテラ、メタリカ、メガデス、SEX MUCHINEGUNS、しまいにはアニメタル(アニソンのヘヴィメタカバー)にまで手を出した。

先輩(ギター)にそっち寄りの趣味の人がいて、もともと邦楽好きに囲まれて肩身の狭い思いをしていたが、ハードロックに理解のあった僕が入ってきたことで、やりやすくなったそうだ。僕も高校でそっち方面の仲間が誰ひとりいなかったので、喜んで応じさせてもらった。こちらは女の子にワーキャー言われることは一切なかったが、楽しかった。

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ご覧のように、僕は青春をドラムと音楽に費やした。

ただ、自分でもカッコ悪いなと思うのは、それだけ入れ込んでいたのにプロを目指さなかったことだ。自分に飛び抜けて技術があるとは思っていなかったが、「いけるんじゃないか」と時たま勘違いできるほどの腕前はあったつもりだ。

ただ、周りには学生ながらにセミプロみたいな人もゴロゴロいたし、音楽を体系立てて学んできていなかったので(あのとき音楽教室を逃げ出さなければよかったかもしれない)、知識面でも話にならないと思っていた。誰かの猿真似しかできない自分には、勝負の余地すらないと。

当時はちょうど、インターネットを通して個人が発信を始められるようになりつつある時代で、ニコニコ動画に「弾いてみた」などという楽器の演奏動画が上がり始めていた。僕は数々の「叩いてみた」動画を見て、「アマチュアでもこんなに上手い人がいるなら、自分の出る幕はない」と、いつの間にか将来の選択肢から、音楽で食っていくことを消していた。

いまはそれなりにおもしろ楽しい人生を送っているので、そのこと自体に取り立てて後悔はない。ただ、「目指そうともしなかった」ということに心のしこりが少しも残っていないかというと、嘘になる。

知識がないなら、その時からでも勉強すればよかったじゃないか。自分もニコニコ動画に演奏動画をアップしてみれば、ひょっとしたら何かが起きたかもしれないじゃないか。

今更になって、そんなことをウジウジと考えてしまう。情けない。

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音楽史というよりはドラム史、そして自分史のようになってしまった。本当は聴いてきた音楽とか受けた影響についてもっと語るつもりで書きはじめたのに、なぜこうなった。まあいい。予定は未定だ。

大学卒業後に急にヒップホップにハマった話とかもしたかったけど、これ以上は長くなりそうなのでまたの機会に。

次こそ漫画編を書く。

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