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書くことによって救われているのは、他ならぬ自分自身

先日、とあるマガジンの記事にこんなコメントをいただきました。

日本在住の30代日本人、日中夫婦です。

お互い良い家庭を望んでいるのに異文化衝突が絶えず、ついに自分が参ってしまい離婚もやむをえないのかなと思っていたところ、こちらのnoteを見つけ、日中夫婦に関する記事はもう20ページ以上は食い入るように読ませていただきました。(中略)

これからまた夫婦として向き合おうという勇気をもらえました。ありがとうございます。

いやもうこんなことを言っていただけるなんて、書き手冥利に尽きます。ある種、ひとりの日中夫婦を救ったといえるのではないでしょうか。お役に立てて光栄というか、そんな定型文では片付かないほどの感動を得ることができました。こちらこそありがとうございます。

これからは、日中夫婦を救う伝道師、あるいは教祖としてやっていこうかな。「私のマガジンを読めば救われます」などといって勧誘し、毎日マガジンを写経させたうえで、疲弊したところに中国のクソ卸売市場で仕入れた激安の壺を高額で売りつければ大儲けです。

冗談はさておき、ご夫婦が万事うまくいくことを、僕からもお祈りさせていただきます。

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こうして感謝の言葉をかけていただけましたが、noteをそれなりの長い期間書き続けて思うことは、こうして読んでくれた人よりも、書いている僕自身が何よりも救われてきたということです。

「救われた」という意味は、大きく2つに分けることができます。

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