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日本人と仲良くなりたい中国人の戸惑い

これまで中国人と交流していく中で、「日本人とどう仲良くなっていいのかわからない」という相談を受けたことがありました。

何人かに話を聞くうちに、なぜ中国人が日本人に対してそのような思いを抱くようになるのかが少し見えてきたので、noteにまとめてみたいと思います。

「お願い」から始まる人間関係への違和感

日本人が中国に暮らしていると、唐突なお願いをされて戸惑うことがあります。

代表的なものは、(最近はコロナでご無沙汰になっていますが)日本に一時帰国する際の買い物を頼まれることでしょうか。化粧品を買ってきてくれだの、ブランドのバッグを買ってきてくれ金は払うから、だのという依頼に煩わされたことがある在中邦人は多いでしょう。全部引き受けていたらそれだけでスーツケースが別に1台必要なことにもなりかねません。

自分の例で言うと、僕が嫁と一緒に日本に行っているときに義両親を中心とした「アレ買ってきて」攻撃が鳴り止まず、せっかくの日本旅行なのに夫婦二人して気が狂いそうになったことがあります。あれは地獄でした。

中国の人は人間関係構築にあたり、それを積極的に相手に働きかけていくこと、とりわけ「お願い」を聞いてもらうことから始めていく傾向があります。さらに親しい関係であれば「お願い」を聞くのは当たり前であり、それによって人間関係を確認しているような部分もあります。

僕が「アレ買ってきて」攻撃に気が狂いそうになったように、このようなコミュニケーションは時に日本人からすると違和感が強く、「たいして仲良くもないのになんでズケズケお願いをしてくるんだよ」ということにもなりかねません。まずは人間関係構築の方法が違うということをお互いが知るべきです。

ちなみにこのことは、逆の視点でも両者の溝を生んでいる場合があります。今まで幾度となく、「日本人はいつまでも私にお願いをしてくれなくて寂しい。信頼関係がないのかと思ってしまう」と嘆く中国人に出会ってきました。長年一緒に仕事をしているのに全然頼ってくれないから、何か壁をつくられているようで寂しい感じがするというのです。

これは日本人からすれば「親しき仲にも礼儀あり」や、むしろ相手に負担をかけないことで相手への尊敬などを示そうとする行動に過ぎないのですが、それが中国人にとっては冷淡に見えてしまうこともあるということです。この辺りの距離感についてお互いが知れば、もっとよりよい理解ができるようになるのかもしれません。

「気がつけば友達になっている」のか「友達になりにいく」のか

もう一つ、これはまだ自分の中での仮説でしかないのですが、日中それぞれの人間関係構築に違いを感じていることがあります。

それは、日本では「友達っていうのは、気づいたらなっているもんだよ」などと言われるように、友達関係への移行を時間軸の中の「」で見ているのに対して、中国の人は友達になったか否かをある瞬間の「」で捉えているのではないか、ということです。

このことを感じたのは、ある中国人の学生さんに日本語を教えていたときのことです。お互いが敬語で会話しながら、発音や文法の間違いを矯正していたのですが、ある時その学生さんの話し振りが「違うよ」「何?」「そうなの?」と急にカジュアルになり始めた時がありました。

僕はそれに違和感を覚え、「そういう話し方はごく親しい友達同士の間で使うものだから、あまり使わない方がいい」ということを教えました。すると、彼は意外かつ少し残念そうにこんなことを言いました。

すいません、失礼しました。でも、仲良くなりたいから、こういう話し方にした方が親近感を感じてもらえるかと思って、わざとこういう話し方にしました。

つまり彼は、こちらに親愛を示そうとしてあえてそうしたというのです。てっきり言語的な習慣について理解していないだけだろうと思っていた僕は少し拍子抜けして、何か悪いことをしたような気分になりました。

ここからわかるのは、彼は敬語という壁を積極的に破り、関係をクラスチェンジさせるために行動したということです。そのような行動からは、「自然と友達になる」というよりも、今から「友達になりにいく」という意識を感じます。

これも日本人からするとその関係の移行があまりに急すぎるように感じたり、その踏み込みの早さに対して逆に馴れ馴れしい印象を持ってしまう部分です。これについても「友達へのなり方」のようなものに理解が進めば、お互いが出すサインを違ったものとして受け入れられるようになるのかもしれません。

重要なのは「お互いに」

強調しておきたいのは、ここまで何度も書いた「お互いに」という部分です。

日本人は中国人が違う習慣を持っていることを理解し、中国人の出す「友達になりましょう」サインを受け止められるようにする。同様に中国人の方は、自分の習慣が相手にとっては友情として受け止めてもらえないことがあるかも? ということに自覚的になる。そういう譲り合いのようなことが必要になると思います。それこそが異文化を尊重し、理解する過程で必要なことです。

どちらかというと、これは中国人に言いたいことであったりします(だったら中国語で書けやという話なのですが)。「私の国ではこうだから」「こう思うから」「だからそっちがおかしい」というところで話を終わらせてしまって、相手の気持ちを考慮しないままに相手の変化ばかりを望む人は、知る限りでは中国人の方が多いです。

お互いの習慣に基づいた悲しいすれ違いが減り、日中間の友情と幸福の総和が増えることを祈るばかりです。

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