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「国や政府は嫌いだけど、人は好き」と言われて、うれしいか? という話

中国に関わる日本人には、「中国という国は問題があるし、中国政府や共産党は嫌いだけど、中国人は好き」という言い方をする人が結構います。

もちろん、そういう考えを持つことは自由です。個人として交流する中で中国人の温かみのようなものを知り、彼らを好むようになったが、報道などに見た(または自分で体験した)中国の政治制度的なものや、そのやり方に対してどうしても違和感がある、好きになれないということは普通にあり得るでしょう。国と個人は違う概念で捉えるべきだ、ということにもある程度はうなずけます。

ただ、たまにですが周りの邦人なんかを見ていると、このことを迂闊に中国人自身に言っちゃう人がいるんですね。たとえば「中国は好き?」と聞かれて、このように答えたりとか。僕も似たようなことを言ってた時期があるかもしれないし、気持ちはわからなくもないんですが、それってどうなの? という話を書いていきたいと思います。

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上の文言の「中国」という部分を、「日本」に置き換えてみましょう。日本人のみなさんは、自分が中国人(ないし他国の人)にそう言われたと想像してみてください。

「日本という国は問題があるし、日本政府は嫌いだけど、日本人は好き」

どうでしょうか。もちろんなんとも思わないという人もいるでしょうが、多くの人は「その前置き、必要か?」というような違和感を持つのではないでしょうか。事実、僕は中国人に似たような内容のことを言われたことがあるのですが、あまりいい気持ちはしませんでした。

別に愛国者とか、「右でも左でもない普通の日本人」を気取って「我が祖国を悪く言うとはどういうことだ」などと怒りたいのではないんです。ただ、ほとんどの人が自分の生まれ育った国、もしくはルーツとなる国には、多かれ少なかれある程度の愛着を持っているものです。

いくら政治と人を切り離して考えている人でも、「国は嫌いだけど〜」と言われてしまっては「そんなこと、わざわざ言わなくてもいいのにな」と思う人が多いのではないでしょうか。

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中国に関わる日本人の間でこの手の言い回しの危うさに無頓着な人が多いのは、中国政府や中国共産党をある意味でのパブリックエネミーとして扱うような同意が、日本人の間で出来上がっていることと無関係ではないと思います。

「中国政府は嫌いだけど〜」というのも、むしろ相手に「あなた個人のことは嫌いじゃないからね」「あんなひどいやつらと、あなたは別だからね」ということをエクスキューズするつもりで言っています(少なくとも僕がこれを言っていた時の心理はそうでした)。

ただ繰り返しになりますが、これって別に「言わんでええねん」っていうことなんですよね。

目の前にいる人に好意を伝えるために、わざわざ他のものを引き合いに出す必要もないし、「総体としては嫌いだけど個人は好き」などと言わなくていいのです。ちょっと喩えが違うかもしれませんが、「あなたの家族は嫌いだけど、あなたは好き」なんて言われたら「いや、「あなたが好き」だけでええやん」とツッコミたくなることでしょう。

そんなわけで、もしあなたのそばにいる中国人に自分の好意というか親愛の情を素直に伝えたいのであれば、この言い回しにはちょっと気をつけた方がいいのではないかと思うのです。

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最後に。

前述したように、僕も以前は似たようなことを言ってしまったこともあったと思います。それを言わなくなったのは、それが相手にとって気持ちの良いことではないかもしれないことに気づき反省したこともあるのですが、もう一点理由があります。

それは中国のことを「政府 vs. 人民」の対立構図、さらに言えば「政府=人民を抑圧する横暴な強者、人民=その圧政に耐える、か弱い弱者」のように捉えることに違和感を持つようになったことです。

個人的には、中国政府や中国共産党よりも、「中国人」という存在の方がある意味ではよっぽど怖いものに見える時があります。

……などと書くと「中国人をひとまとめに悪く言うなんてひどい」「人それぞれだろ」しか言うことのない人に絡まれたりするのが怖いので、今日はこの辺にしておきます。この話題を書くときは多分有料かな。

などと無駄に匂わせてみたところで本日はお開きです。また明日。

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