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借りた電動バイクで走り出し、自由になれた気がしたアラフォーの昼

義実家での生活に消耗する、ある日のこと。

続柄を知らない親戚家での、何度目かもわからない食事を終えたある時、僕は食後の親戚たちが何をするでもなくダベっている空間を離れ、気がついたら外を歩いていました。

いや、「気がついたら」というのはウソです。僕は嫁と親戚の目を盗み、音を立てないようにスリッパを靴に履き替え、これまた極力静かにドアを開け、忍び足で階段を降りました。つまり、明確な意思を持って、僕は親戚の家をこっそり抜け出しました。

なぜそうしたのか。その時の気持ちは自分でもよく覚えてはいませんが、容易に想像はできます。あまりに続く日々と、なぜかそこから離れてはいけないという(嫁を中心に発せられる)無言の圧力に嫌気がさしたのでしょう。

人は精神が限界を迎えると、ひとりでに体が動くものだ。そんなことを改めて実感しました。

外は、2月の寒々しい空気をまといつつも、雲の隙間からちょうどよく差し込んでくる陽光のおかげで暖かさを感じる天気でした。僕は方向も定めず、歩き始めました。

この時期、街は閑散としており、ぽつぽつと人が歩いているだけです。みんな家にこもって家族団欒を楽しんだり、ダラダラしたりして過ごしているのでしょう。立ち並ぶ民家(といってもマンションやアパートなどですが)の窓の中には、無数のそうした光景がある。そんなことを想像しながら、ふらふらと歩き続けました。

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やがて、とあるスーパーにたどり着きました。何を買うつもりもありませんでしたが、気がつけばコーヒーとチョコレートを手に取り、会計を済ませていました。これも「気がつけば」というのはたぶんウソで、今くらいは自分の好きなもの(かついまの生活の中ではなかなかありつけないもの)を摂取しようという心が、そこにはあったのでしょう。

しかし、このままコーヒーとチョコレートを手に取って家に帰るのも、何か癪な気がしてきました。もう少し、この自由を手放したくない。

そんなことを考えていると、路上に並ぶシェアレンタルの電動バイクが目に留まりました。

僕は無意識に、この時ばかりは本当に無意識に、電動バイクに貼り付けられているQRコードをスマホで読み取ろうとしていました。開いたスマホに嫁からのメッセージが来ているのが見えた気がしましたが、気がつかないフリをしました。

そして、ロックが解除された電動バイクにまたがって、走り出しました。

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無心で電動バイクを走らせた先には、川がありました。

僕は堤防の端に腰掛け、先ほど買ったコーヒーとチョコレートを脇に置きました。よく知らないブラジルのコーヒーと、よく知る日本のチョコレートです。

ちびちびとるコーヒーと、個包装を剥がしては口に放り込むチョコレートからは、ひさびさに味わう自由の味がしました。こんな些細なことだけど、俺はいま自分で選んだ場所で、自分の選んだものを食べている。そのことがうれしくなりました。

同時に、何をやっているんだろうという虚しさも覚えました。かつて盗んだバイクで走り出す15歳の夜を歌ったポピュラーソングがありましたが、僕の現状は「借りた電動バイクで走り出し、河原でコーヒーとチョコレートを貪るアラフォー中年男性の昼下がり」です。この光景は、あまり名曲にはなりそうにありません。

オッサンになるにつれ、若い頃は心底からバカにしていた年中行事や家族のしきたりのようなものにも、一定の意味があることを理解するようにはなってきました。
だから、子供のようにそれらを拒否して飛び出し、自由だとイキってみせることも、決して格好のいいことではありません。わかっているつもりです。

でも、それにばかり身を委ねていると、今度は自分がなくなってしまうような不安も覚えます。そうして心が限界を迎える前に、僕はカッコ悪くても、かりそめでもいいから、自由を求めて家を抜け出し、電動バイクで走り出したのかもしれません。

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コーヒーを飲み干し、チョコレートが残り少なくなるころ。何度も着信を無視していたスマホを手に取り、嫁に電話をかけます。どこに行ったのと憤慨する嫁にごめんと謝り、でもどこに行ったかをはぐらかし、すぐに帰るからとだけいって、電話を切りました。

そして残りのチョコレートをポケットにねじ込み、電動バイクで歩いてきた道を、今度は徒歩で帰ることにしました。この自由の残り香を、もう少しだけ長く噛み締めていたかったから。

そしてゆっくりと、穏やかな日差しの中、帰路を歩き始めました。

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