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中国で暮らすのに邪魔な「謝ってほしい」マインドとの付き合い方を考える

こんなことをつぶやきました。

これ、相手が中国人の時に起こりました。僕がある翻訳を先方に頼まれてやり取りをしていた時に、こんなことがあったのです。

翻訳すべきファイルを渡される

→翻訳して相手に提出する

→相手側に「ここの翻訳が抜けている! ちゃんと仕事しろ!」と割と強い口調で言われる

→よくよく確認すると、先方がこっちに渡すファイルがそもそも間違っていた(「抜けている」部分は、僕の受け取ったファイルには元から入っていなかった)

→それを指摘した

→何の申し開きもなく、正しいファイル(本来翻訳すべきだったファイル)が送られてきた

→再度翻訳して提出するまで、自分の非をこちらの非であるようにいったことに先方が触れることはなかった

……という顛末なんですが。

これが起きた後、恥ずかしながら僕はもう1日が台無しになるくらいにムカついてしまっていました。そして、なぜこんなにムカつくのかということを自分なりに解きほぐすと、中国で暮らしていくのに邪魔なマインドが自分の中にも残っているんだなということに気がつきました。今日はそれについて書いてみたいと思います。

そのマインドとは、「謝ってほしい」という気持ちです。

+++++

この件に関しては、ファイルに抜けている部分があることなど僕は知りようもないので、基本的に過失は相手側にあります。

ただ、間違いは誰にでもあることだし、僕だってファイルの送り間違いくらいはする可能性もあります。別にそのこと自体に怒っているのではありませんでした。

相手側が最初に強い態度で出てきたことも、まあイライラしてたんだろうし、それぐらいの早とちりも、まあ起こり得るかもしれないと思いました(最初に向こうがキレ気味で来た時に、こちらも多少イラっとしたのは事実ですが)。

問題はその後です。僕はたぶん、そうしたミスを犯した相手に「謝ってほしかった」んだと思います。ミスをしたのは相手であり、勘違いによって自分の過失をこちらの過失であるように言ったところまでは、まあ良しとしよう。しかし、最低でもそこに何かしらの謝罪がひとことあって然るべきだろう、と考えてしまったのです。まことに日本人らしいというか、「スジ」的な考え方のようにも思います。

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