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嫁と初めて会った日

5年前の夏。

とある高速鉄道の駅。自動改札を抜けたところで、彼女は待っていた。嬉しそうにこちらに駆け寄り、笑顔でジュースを渡してくれたことをよく覚えている。つたない「はじめまして」と、つたない「初次見面」で挨拶を交わした。

連れられるまま乗ったバスの中で隣同士に座り、初めて対面での会話らしい会話が始まる。…いや、会話らしい会話と言えたものかどうか。当時はお互いの語学力がおぼつかなく、簡単なことを伝え合うのにもえらく時間がかかった。

たしか話題は『ワンピース』の登場人物で誰が好きだとか、中国ではメロンが日本より安くて嬉しいとか、本当にとりとめのないものだったと思う。それだけのことでさえスムーズに伝えることができなかったけど、二人とも一生懸命だった。

わからない言葉があったら身振り手振りで伝えたり、スマートフォンに入力して文字で見せたり、検索を使って画像を見せたりしていた。バーバルとノンバーバルのコミュニケーションを行ったり来たり。なんとか言いたいことを伝えようとすることは、面倒だけど楽しかった。

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一緒に街を歩く。地元の料理を食べたり、繁華街をブラブラしたり。噂に聞いていた湖南省名物の臭豆腐に僕が興味を示したことに、彼女が驚いていたのが印象に残っている。実際に臭豆腐を食べる僕を見て「中国人でも苦手な人が多いのに、すごいね」と言っていた…ような気がする。彼女自身は食べようとしないので、そう思い込んだだけかもしれない。

しばらくして、彼女は僕をどこに連れて行っていいのかわからなくなり、困ってしまったようだった。無理もない。基本的に言葉が通じない僕を案内したり、何がしたいか、どこに行きたいかを聞き出すのは大変だっただろう。僕も自分の思っていることをどう伝えたらいいのかわからず、もどかしい気持ちだったように思う。

とりあえず手近なバーのようなところに入り、そこにあったビリヤード台で遊ぶことにした。お互いにほとんどやったことがなく、そもそも認識しているルールが同じかどうかもわからないままゲーム開始。実際には二人ともヘタクソすぎてルール以前の問題だったけど、なぜだか楽しくて、白い手玉がポケットに落ちるたびに、ゲラゲラと笑いあっていた。

二人ともほどほどに疲れて、僕はホテルに、彼女は自分の家に帰ることになった。彼女はホテルまでついてきてくれて、チェックインを済ませてくれた。ホテルの部屋はお世辞にも綺麗とは言えなかったが、そんなことはどうでもよくなるくらいに、充実した気持ちでその日は眠りについた。

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次の日は二人で日本料理屋に行ったり、カラオケに行ったりして過ごすうち、あっという間に夕方になった。

帰りの電車に乗るために駅に向かう。ここにも彼女がついてきてくれた。ところがそこで、ちょっとした不運に見舞われる。

簡単に取れるだろうと思い、前もって買わずにいた高速鉄道のチケットが、その日は軒並み売り切れていたのだった。彼女にも協力してもらいどうにか買えたのは、日付が変わってから出発する夜行列車のみ。出発までには6時間以上も待たなくてはならなかったが、次の日にはどうしても戻らなくてはいけない僕に選択肢はなかった。

出発までの間、ファーストフード店のようなところで、彼女は自分の帰りのバスがなくなる時間ギリギリまで一緒にいてくれた。その時には、お互いの言いたいことが少し通じやすくなっていたような気がする。

二日間一緒にいたことで、僕らのつたないコミュニケーションにも成長があったようだ。お互いの好きな音楽や、次に彼女が僕の住む街に来た時に行ってみたい場所の話をして、長いような短いような待ち時間を過ごした。

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とうとう彼女が帰らないといけない時間になった。

思い切って、渡すかどうか迷っていたプレゼントを彼女に渡した。香港に寄った時に買ってきた、日本製のシャンプーとリンス。高級なものではなかったが、彼女はたいそう喜んでくれたようだった。満面の笑みの彼女が言った「ありがとうございます」が、目と耳と脳に灼きついたのを感じた。

別れた後もWeChatで連絡を取り合った。ふと彼女のモーメンツ(LINEでいうタイムライン機能)を見ると、僕がプレゼントしたシャンプーの写真が「日本の友達にもらった!」という紹介文付きでアップされていて、なんだか気恥ずかしくなった。WeChatでのやりとりは、僕のスマホの電池が切れてしまうまで続いた。

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この時点ではまさか後に付き合うようになって、ましてや結婚するなんて思いもしなかった…というと、少し嘘になるかもしれない。そもそも出不精で人見知りの僕が乗ったこともない中国の高速鉄道に乗り、彼女に会いに行こうと思った時点でもう何かが始まっていたのかも、と振り返って思う。

少ない勇気を振り絞って彼女に会いに行き、つたない語学力をなんとか駆使して彼女と過ごしたからこそ、今僕は彼女と…嫁と、ソファーで隣同士に座りながらこの文章を書くことができている。今はあの時よりは二人とも、少しはマシにお互いの言葉を話せるようにもなった。

「あとどれくらいかかるの?」と急かされたので、文章を書くのはここらで終わりにして、嫁と晩ご飯を食べに行くことにしよう。

いってきます。

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