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嫁に言われて気づいた、理不尽な日本語の話

うちの中国人の嫁は少しずつ日本語を勉強してくれています。いまは特に育児も忙しくて机に向かって勉強する時間はなかなか取れないのですが、コツコツやってきたおかげで、いまは僕が日本語で話しかけてもほぼ問題なく意味がとれるくらいにはなってきました。頑張ってくれてありがたいです。

そんな勉強中の嫁に、「日本語はおかしい、ややこしい」といわれることがたびたびあります。僕に文句を言われてもなあと思う反面、たしかに母語話者は自然と使いこなしているけど、外国人からすれば意味がわからないだろうなとも思います。今日はそんな嫁に言われた、日本語の理不尽さの話をします。

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嫁が日本語について理不尽だと嘆く部分は、ほぼ文法についての要素に集約されます。特に、品詞と活用です。

中国語には品詞の取り決めがほとんどなく、また同じ語が活用によって意味を変えたりしません。「运动yun dong」という語はそのまま名詞の「運動」と言う意味にもなりますし、「運動する」という動作を表す動詞の役割をする時もあります。

そのため中国人が日本語を学ぶとなると、このあたりがネックになります。外国人の日本語学習者による「運動するの人」や「運動ません」などのミスを見聞きしたことがある人は多いと思いますが、これは品詞の区別がついていないからです。中国人の学習者はとりわけこういうミスをしやすいように思います。

うちの嫁も、よく「運動ません」のような間違いをします。「運動」はそのままでは動詞として使えないので、「する」を加えたうえで「ません」という否定の形、つまり「運動しません」としなければいけないのですが、これがもうややこしくて、いつまでたってもわからないといいます。「運動」は動詞ではない、ということが感覚的に理解しにくいのでしょう。

日本人は当たり前に使っていますが、たしかに「運動しません」というごく簡単なフレーズにも「運動+する+ません」という少なくとも3つの要素が入っているわけで、後天的に学ぶとなると難しいのだろうな、というのは理解できます。

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そのほか、動詞の活用も嫁にとって鬼門です。そもそも動詞が何種類にも形を変えるだけでもややこしいのに、動詞によって活用法が違うのがもう発狂しそうだといいます。

どういうことかというと、たとえば「行く」という動詞を否定形にしたければ「ない」をつけて「行かない」になるのに、「食べる」に「ない」をつけると「食べない」になるのはなぜだ、「食べらない」じゃないのか、ときます。

最初は嫁の言っている意味がわからなかったのですが、つまり日本人が中学校くらいで学ぶ五段活用と上一段・下一段活用の違いです。「ない」などの助動詞がついた時に動詞がどう活用するか、日本人は自然に使い分けていますが、そりゃあ外国人には何のことかわからんわな。

いま調べると、「活用の仕方を見分けるには、後ろに「ない」をつけて確認しよう」と紹介されてて笑いました。学習者にはそのつけ方がわからないんだってば。

ちなみに日本語教育の現場では五段活用や上一段・下一段という呼び名ではなく、1類動詞と2類動詞という分け方をしているようなので、これを勉強し直してみれば、と嫁には言いました。「る」で終わる動詞のうち、その前の文字がイ段かエ段で終わるもの(「食べる」「見る」「起きる」など)は2類動詞なので、それで見分ければいい、ということで一旦は納得しました。

しかしあくる日には、「じゃあ「帰る」はなんで「かえない」じゃなくて「かえらない」なんだ!」とまた憤慨してきました。「帰る」「知る」など一部の動詞は、2類動詞の形をしているくせに、1類動詞と同じ活用になるのはなんでだ、というのです。何事にも例外はありますが、たしかにこれはかわいそうです。

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極め付けは、ある日嫁は「『ある』の反対が『ない』なのはおかしい」と言ってきたことです。

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