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オリジナリティが評価されない中国社会

最近、こちらのnoteをよく読んでいます。

もともと別でやっているメルマガのnote版ということのようですが、僕が疎い中国の自動車業界の情報を簡潔にまとめたものが配信されているので、毎日読んで勉強しています。

さて、今日はその中から気になった記事のことについて。

中国メディア第一財経は2024年4月4日、「中国の自動車業界は依然として新たなパクリが必要なのか?」と題する論評を発表した。

先日発売され、爆発的な売れ行きで話題となっている小米(シャオミ)の新型EVですが、ネット上ではそのデザインについてパクリ疑惑(外観がポルシェのあるモデルにそっくりだそうです)が囁かれ続けています。そのほか、独自開発したといういモーターなどについてもパクリという非難が出ているそうです。

そのような現状について、中国国内ではいつまでたってもパクリしかできない自動車産業への憂いの声が出ている、ということです。

今回の小米のパクリが事実であるかどうかということは置いておくとして、中国メーカーによる自動車のデザインにはパクリ疑惑が騒がれることが多いのは事実です。

多くのパクリ疑惑は新興メーカーによるものですが、今回は小米という、自動車業界では新参者ではあるものの、すでに数々の実績を持つ大企業がそれ(パクリ)をやり、しかも商業的に成功してしまったということが嘆きの声を大きくしているのかもしれません。

すでに世界の大国として漕ぎ出したのに、俺たちはいつまでパクリをやっているのか、といった具合でしょうか。

今日はこのことについて考えてみます。

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中国においてパクリが絶えないことについては、以前のnoteにも書きました。

ここでは中国におけるブランディングの重要性など、構造的な問題や習慣の観点から「中国人がパクリをやめない理由」を挙げました。

しかし、そうした構造的な問題以外にも、そもそものパクることに対する意識というか、もっと手前の「オリジナリティ」というものに関する考え方が関係しているのではないかと思うことがあります。

というのも中国って、オリジナリティがあまり評価されない社会なんですね。

中国は日本以上に「お手本」に沿った教育を行う国です。ある物事の「正解」はすでに決まっていて、それにいかに寄せたものをアウトプットできるかが第一の評価基準です。こうした教育のもとで育ってきた人々は、自分のオリジナルな意見を述べたり、独自の観点や発想によって人と差をつけるということにあまり大きな価値を感じません。

仕事をしている時にも、そのあたりを感じたことがあります。

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