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嫁が泣いた日と、人生の意義

結婚2年目のある休日。

夕食を食べ終わって、夫婦二人で何をするでもなくまったりとソファで過ごしていた時のこと。

スマートフォンをいじりながら、ふと嫁にこんなことを聞いてみました。

「僕が死んだらどうする?」

今となっては何故そんなことを聞いたのか全く思い出せないのですが、これから万が一のことがあったら…という不安がなんとなく口をついて出たのかもしれません。


嫁は何も答えず、黙ってしまいました。

十数秒間の沈黙が続き、あーちょっと変なこと言っちゃったかな…と思いながらも引き続きスマホをいじっていると、嫁はやおら僕の手を掴み、自分の頬に当てがいました。

嫁の頬は、涙で濡れていました。

わあごめん、そんなつもりで言ったんじゃないんだよ、となだめる間もなく、嫁は火がついたように大きな声で泣き始めてしまいました。

号泣しながら嫁は、「そんなこと想像もしたくない。お願いだから二度と言わないで」と繰り返し言っていました。

なんとか落ち着かせようと抱きしめて嫁の背中をさすりながら、僕は嫁が同じことを言ってきたらどう思うだろう?ということに思いを巡らせ、同じようにわんわんと声を上げて泣きました。


二人して泣き疲れるまで、抱き合っていました。かなり長い間、そうしていたような気がします。

時間がたって落ち着いた後は、ホットミルクを入れて二人で飲みました。

その日は、いつもより少し早めに、手を繋ぎながら寝ました。


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この日を経てから、人生が一度終わったような感覚があります。

自分のことを必要としてくれる人がいた。それを知る瞬間があった。自分も同じくらい相手を必要としていた。そういう人に出会えた。

この時以上に自分が生まれたこと、この世に自分が存在することの意義を感じる瞬間は、後にも先にも訪れないんじゃないかという気がしています。

これから人生はいろんな風に流れていくのでしょうが、少なくとも自分には人を愛し、愛された瞬間があった。これ以上の幸福があろうか。

「もう後は余生だ」という感覚とまで言ってもいいかもしれません。


とはいえ本当に余生のつもりで適当に過ごすのも味気ないので、少しでも人生を充実させようと仕事を頑張ってみたり、疲れた時に嫁に手を揉んでもらったり、それをこうして文章にしてみたりして毎日を過ごしています。

とりあえず明日からも、嫁と一緒に生きていきます。

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