中国の教育事情と、国民性のようなものの関係

先日、中国人の奥様を持ち、すでに大きなお子さんがいらっしゃる、僕から見ればいわば大先輩のような方と話す機会がありました。

その時にたいへん興味深かったのが、「中国人の気質のようなものは教育によって作られている部分がある」というお話でした。ここにまとめておきたいと思います。

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中国が教育大国であり、中国の学生と、子供を持つ親は大変だという話はよく耳にします。

日本と比べるとあり得ない量の宿題が毎日出され、子供は朝から晩まで勉強漬け。遊ぶ暇などあるはずもなく、ただひたすらに学業に邁進。寮生活で、家に帰るのは週末だけ。こういう学校のスタイルがほとんどだと言います。

これだけ聞くと、中国の子供達はバトルサイボーグのように学問に没頭し、街はキレ者の超エリートだらけなのではないかという想像が膨らみます。しかし、現実の中国社会を見回してみても、そんな苛烈なところを生き残ってきたような緊張感を持つ人に高頻度で出会うかというと、そうではありません。

この乖離の原因が、先に述べた大先輩とのお話で少し見えてきました。

その方には中学生のお子さんがおり、やはりとてつもない量の課題をこなしていることは事実なようなのですが、その実態はいわゆる中国的な、クオリティを度外視したした物量攻勢だというのです。

そもそも学生への課題が多いということは、学校や教師の側にも大きな負担がかかっているはずです。しかし教師側は生徒に課題を出しやらせることが評価・インセンティブにつながるため、なるべくたくさんの課題を出したい。

結果として「内容はともかく、たくさんの課題を出す」ということが最適な選択となり、粗製濫造の課題が生徒に投げられたり、「明日までに出せ」という理不尽な課題が飛んでくることになる、ということのようです。先のお話では、「算数の文章題が根本的におかしくて解けない時がある」「明日の活動に使う〇〇を持ってこい、と前の晩に言われる」などのエピソードが聞けました。

また学生のほうも学生のほうで、大量の課題を「効率よく」こなすために「とりあえず出してしまえ」という考えから、時には真剣に課題に向き合わず親に外注したり、その親がまた代行業者に外注するような現実があるようです。そうでもしなければ捌き切れない量であるのと、親の方も子供が課題をこなすことのインセンティブが強いのでつい協力してしまう、という構図があります。

もちろん全部がそうというわけではありませんが、この「とりあえず出してしまえ」の応酬が中国型詰め込み教育の現実である、ということのようです。

「要求が時に理不尽」「クオリティを二の次にして、とりあえずアウトプットを出してしまう」というのは、僕がイメージする中国人像とかなり一致します。なるほど学生の頃からこういう価値観に揉まれているからこそ「明日納品しろ、支払いは一年先だ」みたいなことを言う理不尽な客に出会ったり、怪レい日が街にはびこることになるのだなあ。

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これから中国で子供を育てるかもしれないヒヨッコ日中夫婦としては戦々恐々とするばかりですが、ぼくの子供が大きくなる頃には何か変わってたりするのかな。たぶん、あんまり変わってないんだろうな。

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