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儀式化する中国のコロナ対策、そして「シーズン4」へ

昨日、PCR検査を受けに行きました。

僕は在宅で仕事をしていることや、これまで感染がそれほど厳しくなっていない地域に暮らしていることもあって、PCR検査を受ける頻度はそれほど高くありません。特にいまは毎日受けないといけないこともなく、移動の必要があるときや、政府筋から受けなさいという通知があったときくらいでしょうか(その通知も、最近はめったに来ません)。

そんなわけで、昨日はけっこう久しぶりのPCR検査だったのですが、受けてみてあることに気がついたのです。

それは、「検査、雑すぎじゃない?」ということです。

ウェッとならないPCR検査

中国でのPCR検査は、喉に綿棒を突っ込んで抗体を採取する形で行われます。喉の奥を綿棒でグリグリやる例のアレです。

以前、いまよりもっと高い頻度でPCR検査を受けていた時は、検査のたびにあのウエッとなるのが嫌だなーなんて思っていました。

しかし昨日受けたそれは、舌の表面をサッとなでるだけ終わり。せめて喉に触れたりとか、頬の裏ぐらいちょっと拭った方がいいのでは……? と思う間もなく、本当に一瞬で終わってしまったのです。

いや、喉をグリグリされて不快にならないのはいいんだけど、これだと流石に意味なくないか……? と思ったものの、それを言ってもしょうがないし、とりあえずモヤモヤしながら検査状を後にしました。

儀式化するコロナ対策

どうやらこのPCR検査のガバガバ化……いや簡略化は、いろんなところで起こっているようです。たとえば同じく中国在住のくまてつさんは、8月の時点でこの「Air PCR」検査のことについてnoteに書いています。「Air PCR」て。Apple製品じゃないんだから。

もうこんなだったら、やってる意味ないのでは……? とも思えてきてしまいますが、これがいまの中国におけるコロナとの付き合い方のバランスなのかな、と思います。

今の新型コロナウイルスはほぼ弱毒化しているとはいえ、制限を急に緩めれば医療などに大きな影響が出て、少なくとも一時的な混乱状態が起こるのは避けられません(そもそも中国は、医療のシステムと社会慣習的に混乱が広がりやすいという背景があります)。死者もある程度の数は出てしまうでしょう。

そうなれば、これまで「偉大なるコロナへの勝利」を喧伝してきたのはなんだったんだ、ということになってしまい、中央の正当性に傷がつきます。なので、中央の意図としては、ある程度はいまの厳しい対策を続けたいという思いはあるでしょう。

かといって、ガチガチに厳しい対策をやり続けてしまうと日常生活は不便になる一方だし、人々の時間的・体力的・金銭的リソースがどこまでも吸い取られていきます。これはこれでよろしくありません。

そこで人々は庶民の知恵として、「形式上やってるけど、極限まで手を抜く」という選択肢を取ることになります。そして、おそらくはお上の方も、感染状況が厳しくならない限りはそれを黙認しています。その結果が「Air PCR」であり、ガバガバになっている各地の感染対策なのです。

こうしていまの中国のコロナ対策は、厳しい封鎖措置が敷かれている場所以外では「一応やってるだけ」という、儀式化が進んでいます。

ある意味では、感染対策を敷く側とそれを実行する人々のあいだの共犯関係の結果として、このような状況が生まれているといえるでしょう。

とはいえ、ウンザリが止まらない

しかし、これが最適なバランスであるとはいえ、この有名無実な儀式に意味があるのかということに、人々はいいかげんウンザリしてきているようにも見えます。

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