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幸せな日に思う

昼下がり。嫁が隣で日本語能力試験の勉強をしている。もともと今年の半ばくらいに受験を予定していたけど、例のウィルスのせいで試験の開催自体が流れてしまっていた。最近になってようやくエントリーが再開して、12月に受験できることが決定した。嫁はとても意気込んでいる。

嫁はいまのところ日本語を使う仕事をしているわけでもなく、いちおう僕が中国語を話すことができるので、日本語ができなくても生活の上で特段困ることはない。それでもなぜ日本語を勉強するのかというと、僕と日本語でもっとコミュニケーションを取りたいからだという。

曰く、僕が日本人と話しているのを見て、悔しい思いをしたことがあったらしい。「あなたがあんなに楽しそうに話すのを初めて見た。私もあなたに、あんなふうに楽しく喋ってもらいたい」というのが、いま嫁が日本語を勉強する一番の動機になっているらしい。

僕は本当に幸せ者だ。

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ふと、自分がこんな幸せに足る人間なのかと、考え込んでしまう時がある。

大した能力もなく、足元は不安定。社会不適合的で、不安ばかり抱えている悲観主義者。口を開けば愚痴ばかり。ちょっとしたことにも動揺する小心者。仕事でも人に強く出られないヘタレ。そのくせ内弁慶。自分がどうして、こんな出来た嫁と一緒にいられるのかがわからない。

一緒にいられる幸せが、それを失うことへの不安に変貌してしまいそうになる瞬間を、胸のあたりで感じることが多くなってきたような気がする。

考えたって仕方がないのだけれども、気がつけばこんな負の思考のループに入っていることが多々ある。自己肯定感とかいうやつが下がっているのだろうか。自分に胸を張れない自分が、幸せを幸せとして素直に受け取れない自分がよりいっそう情けなくなってしまって、負のループはさらに加速していく。

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ええい。「考えたって仕方ない」って、自分で言ってるじゃないか。

細かいことはどうでもいい。幸せなら幸せで良いのだ。僕は、幸せになっていいのだ。それでいいのだ。バカボンのパパなのだ(世代がバレる)。

嫁と一緒になれたことを誇りに思え。これからも一緒にいられることに感謝しろ。でもその幸せに甘えて耽溺することなく、自分を磨き続けろ。失うことが不安なら、失わないために何ができるか一心不乱に考えろ。そして動け。

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そんな内心を知ってか知らずか、嫁が質問をしてきた。「嫌悪感」の読み方がわからないらしい。ずいぶん難しい言葉を勉強してるんだな。それは「けんおかん」だと教えて、一緒に練習する。「け・ん・お・か・ん」。二人の声が揃って、リビングに響き渡って消えていく。

そんな、なんでもない日の一幕。

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