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人生のままならなさと、それに立ち向かうための選択(郝景芳「1984年に生まれて」感想)

中国の作家、郝景芳(Hǎo jǐngfāng,日本語読みなら「かく けいほう」となるのかな)さんの小説「1984年に生まれて」(原題:生于一九八四年)を読みました。ひとことで言うと、傑作だったと思います。

1984年の中国に生まれた女性・軽雲と、その父親の視点を行ったり来たりしながら、それぞれの人生における苦悩や葛藤が描かれていきます。そこに時折「00章」「000章」のような不可解なナンバリングの章が挿入されていき、読者はその抽象的な内容に「一体これは何なんだ?」と疑問を抱きながら読み進めていくことになります。

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そもそも僕は中国の文学に対して強い興味をもつ人間ではなく、せっかく買った話題沸騰中の名作SF小説「三体」(中国語版)を30ページも読まず早々に挫折して本棚の肥やしにしているような人間です。そんな僕がこの「1984年に生まれて」を読もうと思ったのは、そのタイトルに強烈に惹かれたことが理由です。「中国の作家」が「1984年」をタイトルに冠した作品を書く、ということには、意図があるように思えたからです。

というのも「1984年」といえば、ジョージ・オーウェルによる監視社会を描いたディストピア小説がどうしても思い浮かんでしまうからです。「中国」「1984年」とくれば、どうしてもその関連性を疑わずにはいられません。

実際、読み進めていくとオーウェルの「一九八四年」そのもののような出来事が描かれていくので「おいおい、大丈夫なのか」という気分にさせられます。主人公が統計局に勤め始め、そこで「上」の意図に沿うような形で「調整」されたデータの数々と向き合わされたり、宴席でぽつりと漏らした上司への愚痴がなぜかその上司の知るところとなっていたり(つまり何者かが密告した)といった具合です。

しかし、あくまでこれは自伝「体」の小説であり事実に完全に基づくものではないというエクスキューズ、そして物語全体を覆うある仕掛けによって現実との距離は絶妙につき離され、物語は体制批判などとはかけ離れた穏当なところに着地します。

いわゆる諸外国で言うような「表現の自由」が保障されていない中国において、このように「上」との距離感を測りながら表現をつくるスリリングさというのは、ひょっとしたら中国のカルチャーを楽しむ上での要素の一つとなっているのかな、と中国文学(およびカルチャー全般)に詳しくないなりに感じました。

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もちろんこの小説の面白さは、その構造上の部分だけではありません。

貧しく荒れた世界で、生き方を自分で決められずに苦労の日々を重ね、最後には外の世界に飛び出すことを選択した父親。その父の子として生まれ、物質的にはなんの不自由のない暮らしをしながらも、どうしても何者かから見られているような閉塞感を克服できない主人公。外側の自由に身を置いて安寧を捨てるか、内側の安寧の中で苛まれるか。

二つの人生の対比と、その奇妙な共通点から見えてくるのは、人生のままならなさと、それに対して傷つきながらもどのような選択をするのかという普遍的なテーマです。苦しみを経た上で、その苦しみも含めた自分の人生を肯定するために、どのように生きるか。淡々と二つの人生を追いかけていく描写の数々から、その心構えを学んだ気がします。

特に若い人や、それこそ「1984年」生まれの作者と同世代の人には国など関係なく刺さる内容ではないでしょうか。中国近現代史の知識がうっすらとでもあった方がいろいろな描写の意味が入ってきやすいかとは思いますが、とりあえずのそのような知識がなくても楽しめる作品だと思います。興味を持った人はぜひ。

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最後に、蛇足ですが少し注意事項を。

この本のAmazonページを開いた時に、一番上に表示されるレビュー(2021/6/14時点)の中に、この作品の壮大なネタバレが思いっきり書かれていました。僕は運良く作品を読み終えてからレビューを見ましたが、読む前に見ていたらきっと心底がっかりしていたと思います。レビューに何を書くのも基本的には自由だと思いますが、まだ日本語版が発表されてそれほど時間が経っていないというのに、もうちょっと考えてほしいなと思います。

ぶっちゃけこのネタバレは「シックス・センスのブルース・ウィリスの正体」とか「オリエント急行殺人事件の犯人」のような物語の構造の根幹に関わるものなので、作品を100%楽しみたい方はぜひAmazonレビューを見ずに読み始めてほしいと思います。

もしこのnoteがきっかけで読んだと言う方がいらっしゃったら、ぜひ感想を語り合いたいです。お待ちしています。

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