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広東省の夏、走り続ける在中邦人の独り言

蒸すような湿気と熱が、顔と手足にまとわりつく、夏の広東省の朝。

風がちっとも吹かず、ただ暑さだけが身体を蝕んでいくような街。日が昇り、暑さがさらに牙を剥くまでの時間を縫うように、僕はランニングに向かう。

ランニング用のトラックがある公園に向かうまでの道を、樹上から落ちてきた未成熟のマンゴーから飛び散った果汁と、誰かが捨てたミルクティーの飲み残しが濡らしている。蒸し暑さを浴びたそれらが、そこかしこからすえた匂いを漂わせる。お世辞にも心地よい匂いとはいえないが、この街ではこれが夏の風物詩といえなくもない。

この場所にも、夏がやってきた。公園への道すがら、そんなことを考える。

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公園に着くと、すでに先客が大勢いた。この国にもフィットネスブームが来て久しい。平日だというのに多くの人がいる。みながトラックで走るなり、筋トレをするなり、集団でダンスに興じるなり、思い思いの運動を楽しんでいる。僕は準備運動もそこそこに、さまざまな人が走り抜けるトラックに加わり、走り始める。

最近はほとんど毎日走りに来ている。健康維持のためもあるが、それだけではない。近頃は何かを一心不乱にやっていないと、体を動かし続けていないと、精神が参ってしまうような気がしているのだ。

多様な人々の中で何かに抗うように、自分の存在の保証を求めるかのように、息を切らして走り続ける。流れ出る汗と苦しくなる呼吸、肺と脇腹に感じる疲れが、いまにもかき消えてしまいそうなこの国での自分の存在を、繋ぎ止めてくれるような気がする。

思い込みかもしれないけど、とにかくそんなことを思いながら、邪念を振り払うかのように、毎日バテて動けなくなるまで走り続けている。

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話は変わるが、近頃気がつけば周囲にいた日本人の数が減りに減っている。コロナが流行し始めた当時も在中邦人の帰国が相次いだが、最近はその時以上に減りが激しい気がする。

Twitter経由で何度か顔を合わせたような人が、気がつけばタイムライン上で本帰国の報告をしていたりする。それが正常な判断だと思う。最近は前にも増して、中国にいることのリスクが嫌というほど可視化されている。普通なら帰国を考えるだろう。

そんな中、会社命令でここにいるわけでもなく、必ずしもここで仕事をしなければならないわけでもない自分が、中国にいる理由っていったい何なんだろう、などと考える。あまりにもあやふやで危うい、この国における自分の立ち位置。いや、日本に帰ったからって明確な立ち位置があるわけではないし、良い仕事だってそうそう見つからないだろうが、少なくとも足元がおぼつかないような不安とは戦わなくていいはずだ。

中国人の嫁がいるから? たしかにそれもあるだろう。嫁を、彼女にとっての祖国や家族と、やすやすと引き剥がすわけにはいかない。それは僕がここにいる理由になりうる。でも、言ってみればそれだけだ。無理にでも嫁を日本に連れて行ったほうがいいのではないか、そんなふうに考えることもある。というか、最近は常にそのような考えが頭にあると言っていい。

いったい僕は、なぜこの国に暮らし続けているのだろうか。

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また話を変える。最近、とあるネットショップ経由で実家に贈り物をした。それなりのお値段のするライチの箱詰めだ。

中国人である嫁との結婚にあたって揉めに揉め、形だけの結婚式を挙げて以来、ほとんど事務的なことしか話さなくなった実家に向けて、なぜ突然そんなことをしたのかは自分でもよくわからない。

特にコロナ禍が始まってからのこの数年は、ろくに連絡さえしていなかった。たぶん向こうも、突然の贈り物に面食らっているだろう。事実、商品の配達予定を教えるにあたって久しぶりに送ったLINEでのやりとりからは、そんな戸惑いが感じられた。

noteで日本円の収入が多少なりとも得られるようになったから、たまには親孝行でもしようかと思ったことはある。しかし、たぶん理由はそれだけではない。

僕は、この期に及んでこの国に居続けていることの意地を、誰かにわかってもらいたかったのだと思う。ここにいる自分は大丈夫なのだ、自分はうまくやっていけているのだと、誰かに胸を張りたかった。人に贈り物をする余裕が自分にはあるんだと、知ってほしかった。その白羽の矢が立ったのが、たまたま日本にいる家族だった、ということなのかもしれない。

我ながら、その自らのおぼつかなさの解決のために取った手段の意味不明さに、愕然とする。僕は、いったい何をやっているんだろうか。情けなくなると同時に、いま抱えている不安への対抗策を模索する自分の姿は、それはそれで愛おしいものかもしれない、と少し思った。

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ここにいることに、不安はある。迷いもある。

自分のいる場所は正解なのだろうか。自分のやっていることは果たして報われるのだろうか。時として強烈な不安定性や脆さ、「ソト」の人間に対する苛烈な厳しさを見せるこの国の表情が、そういった不安をよりいっそう強くすることもある。ある意味、いまはそれが極まっている状態なのかもしれない。

でもこれはきっと、どこで何をやっていようと、多かれ少なかれつきまとう感覚だ。人生には正解の道なんかなくて、選んだ道を正解にしていくことしかできない。いま、自分がここにいることの保証なんて、誰かが与えてくれるものじゃない。それは、自分でつくっていくしかないものだ。

不安や迷いを抱えたままでもいい。それにどうしても立ち向かえない、直面したくない日があるのも、たまにはいい。でも、そればかりを意識して、日々をつまらないものにしてしまうのは、やめにしてしまおう。ウジウジと自分の環境に文句を言って時間を浪費していられるほど、人生は長くない。

この国にいて、クソみたいな現実が襲ってくるなら、必死で抗えばいい。それが無駄な抵抗に終わってしまうような時は、その情けなさをネタにして、誰かに聞いてもらえばいい。どう転んだって、僕は自分の人生を素晴らしいものにできる。住んでる国がどこであろうと、僕は自分で自分を幸せにすることができるはずだ。

それを信じよう。

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また、うだるような暑さの明日がやってくる。

強烈な日差しを避けながら、また体力が尽き果てるまで走りに行こう。それは一時の現実逃避に過ぎないとしてもだ。どうしようもない不安に抗い、それを日々を生きる糧に変えるために。

こうして日々をやり過ごして行けば、いつかは風向きだって変わるかもしれない。いまのような汲々と、鬱々とした日々までまるごと肯定できるような日が、きっとやってくる。仮にそんな日がやってこなかったとしても、前を向いて生きることは、僕の人生に何かをもたらしてくれるはずだ。

そうして僕は、身体にまとわりつく広東省の夏の不愉快な熱気を振り切って外に出ていく。落ちているマンゴーを踏まないように気をつけながら道を行き、またいつもの公園で走り出す。

このどうしようもない日々と、これからも戦い続けるために。

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