ゼロコロナから得た教訓の話
在日中国人ジャーナリストの王志安さんのYouTubeチャンネルで、上海のロックダウンを振り返る動画が出ていました。タイトルには「拒绝遗忘,拒绝原谅」(決して忘れない、許さない)とあります。
もうあれから2年にもなるのかと思いつつ、興味深く動画を見ました。
動画を見ながら改めて振り返ると、上海のロックダウンの時に起きていたことは異常としか言いようがありませんでした。世界でも有数の経済規模を持つ自治体がほぼその機能を失い、そこで暮らす人々が食うや食わずになったり、ロクに外にも出られない状態にまで追い込まれたというのは、狂気じみていたといえるでしょう。
ただ、この前後の時期の中国では、このような厳しさをともなう封鎖措置が全国的に加速していました。「ひとたび感染を拡大させてしまうと、都市機能が崩壊してしまう」という意識が蔓延したことで、末端に行けば行くほど処置が厳しくなり、過剰な行動制限が横行しました。この時期は上海以外も、「ゼロコロナ」の熱に呑まれていたのです。
僕の住んでいる広東省はそれでもだいぶマシなほうだったのですが、一度嫁の実家の省に行った時はとんでもない苦労をしました。狂気の一端に触れたと言っていいでしょう。
2022年の年末ごろまで、そのエスカレートは続きました。最終的には人々の方が耐えかねて不満の声が高まり、なし崩し的にゼロコロナ政策は終了していくのですが、それに至るまでの窮屈さや、明日の予定も立てられない不便さは、僕の中でも忘れがたいものになっています。
今日のマガジンでは、冒頭の動画でゼロコロナについて思い出したことをきっかけに、もはや誰も振り返らなくなってしまったゼロコロナが自分にとってどんな意義を持っていたのかを改めて考えてみようと思います。
最初はみんな支持していた
ここまでいかに中国の人々、そして僕自身がいかにゼロコロナに苦しんだのかということを書いてきましたが、そうして措置が過剰になるまでは、そこまでの悲壮感はなかったはずなんですよね。
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