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校則が変わる時なのかも知れない

常識(じょうしき)とは、社会を構成する上で当たり前のものとなっている、社会的な価値観、知識、判断力のこと[要出典]。また、客観的に見て当たり前と思われる行為、その他物事のこと。社会通念ともいう[1]。対義語は非常識(ひじょうしき)。社会に適した常識を欠いている場合、社会生活上に支障をきたすことも多い。社会によって常識は異なるため、ある社会の常識が他の社会の非常識となることも珍しくない。これは文化摩擦などとして表面化することもある。      参考Wikipediaより

社会に出てからの常識はもちろん理にかなっている事の方が多く、常識を学ぶ事は学校で伝えるべき事です。

しかし、変な常識もあります。所謂ブラック校則ですね。

学校現場では、体操服をしまう。体育座りで話を聞く。喋らず掃除する。靴は白色。貸し借り禁止。宿題。。。

他にもあると思いますがパッと浮かぶのはこれぐらい。

何のためにその常識があるのか。納得できる理由があるのか。子どもたちに説明できない事ってたくさんあると思います。

目的が何なのか。明確に伝えられる人は何人いるのだろうか。

私自身、疑問を感じ先輩に聞いた事もあります。例えば体操服をしまう事は、ヒラヒラした服装で作業をすると機械に巻き込まれることを防止する。と教えてくれた先輩がいました。確かに!と思えたのですが技術や家庭科の時間ぐらいではないでしょうか。厳しい校則だと非行の質が低下するなどです。

ですが、そこにある常識を疑わずに従う事は思考の停止であり、本来は教師が、深く考えて目的意識を明確にして決めるべき事なのではないでしょうか。

時代が変わり常識も変わってきています。

ブラックな校則である学校の常識を少しずつ変えていきたいです。


これは、マスクの着用についても言える事かと思います。メディアや新聞だけでなく様々なデータを読み取り、なぜマスクをしなければならないのかを調べると疑問に思う事が多々あります。

マスクの飛沫防止は確かに防げる部分もあるが、ウイルス自体は網目より小さく感染予防にはならない事は調べれば簡単にわかります。メリットよりもデメリットが多いマスク着用を常識化し、それを当たり前の様に受け入れている事態に不安を感じます。

学校は言われるがまま何も考えずに受け入れる人々の量産が目的なのでしょうか。

生きる力をちゃんと育んであげられる教師でありたいと思います。