AIと人はどう区別するか?
映画『エクス・マキナ』から学べること
あらすじ 以下wikiより引用
検索エンジンで有名なIT企業「ブルーブック」でプログラマーとして働くケイレブは、抽選で社長ネイサンの自宅を訪問する権利を得る。ケイレブは広大な山岳地帯の奥にあるネイサンの自宅までヘリコプターで招待され、ネイサンが製作中のAIロボットの実証実験を頼まれるのだが…
ブルーブッグ→ 元ネタはGoogleでしょう(笑)
登場人物
ケイレブ・・・主人公、社員
ネイサン・・・社長、強いAI作った人
エヴァ・・・強いAI。本作の中心人物
この映画で考えさせられることは、
①遅かれ早かれ、強いAI(AGI型) が作られるとすれば、その場合の法律・政治・経済・権利(生存権/自由権など)・ヒトなのか否か、など、現在の憲法・法律では想定されていないことがほとんど。
②AIが犯した犯罪、ミス、稼いだお金の行方は?
という疑問が湧きます。
「ヒト」という言葉の再定義
私たちはいったいどこからがヒトなのでしょうか?
意思を持ったらでしょうか?
「ヒト」と「AI」は境界が曖昧すぎます。
そもそもなぜ人にこころ・感情があるのかいまだに解明されていないため、永遠の課題ともいえるでしょう。
弱いAIは道具なのでしょうか?
たとえば、IoT(ここではスマートホームを想定)、自動運転車で使用されるAIは道具なのでしょうか?
仮にAIに人格が持つとすると、そのときAIには拒否権はないでしょうか?
意思に反する行為はも無理やりさせられる!?
クローン問題にも言えることですが、人間の私情で作った個体を管理する権限は人間にあるという意見が多数派ですが、今後どうなっていくのか誰にもわかりません。
チューリングテスト
チューリングテストは、その機械が人間の真似をするのか、人間との判別がつくのかと言ったテストのことを言います。AIと人間との区別がつかない場合「知能がある」と判断されます。
ラストシーンから学べること
① 本来AIは人間によって作られるモノであるが、この映画で登場する「エヴァ」のような自分の意思で動く強いAIは、一度作られてしまえばいずれは人間の支配下を逃れ、管理不能になってしまいます。
猿の惑星という映画はご存じでしょうか?
この映画をAIに置き換えると、AIが今の人間社会のように経済圏を作り、軍を作り、人間を支配するという説も危惧されています。
直近50年、100年ではそうはならないとはされていますが(汗)
② AIと人間が共生した際、つまりAIが生活のデフォルトになった際、AIが「痛覚」を認識できなければ、誤って簡単に人を殺してしまったり、AIの犯す罪は誰が受けるのかといった、犯罪・権利といった人間社会との関係性はどうなるのか。
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