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自分になんて声かける?

約2300+800文字(*1)

がんばれわたし

芥見下々『呪術廻戦 5』第35話

「頑張れ私 今日もカワイイ」
これは『呪術廻戦』(*2)のなかで、何気に好きなセリフの一つ。
呪術高専京都校の西宮が、交流戦中に仲間たちの作戦失敗を受けて発したセリフだ。

日々生きるなかで、自分を応援したくなるようなシーンはしばしば訪れる。
自分を鼓舞する方法は探せば色々あるのだろうけれど、パッと思いつくのは元レスリング五輪日本代表の浜口親子。
親子というより父親かもしれないけど。
「気合いだ!」という掛け声で自分自身を鼓舞する異様な光景は、ノイローゼになるほど聞かされる一発屋リズム芸人(*3)のネタ並みに目と耳に焼き付いている。

出典: https://ja.m.wikipedia.org/wiki/アニマル浜口

浜田京子氏が五輪に出場していたのは、2004アテネ五輪と2008北京五輪。もう20年も前になる。
なぜそんな話をするのかといえば、こうした根性論的な自分自身を気合いで盛り上げていくようなスイッチの入れ方はなんだか今はしっくりこないように感じるからだ(*4)。

じゃあ、今はどんな方法がしっくりくるのだろう。
パッと思いつくのは、お笑い芸人のティモンディー高岸宏行氏。

出典: https://www.sanspo.com/article/20220816-3WR4757W4NJOVDBNEUPHRXZJHM/?outputType=amp

「やればできる!」でおなじみの彼は、どんな状況でも他人を褒め応援する。
高岸氏は、他人を褒めることに徹底している。
それが再確認されたのは、先日独立リーグで初先発をしたとき。
彼は相手選手にホームランを浴びたが、そこで見せた反応は"悔しがる"ではなく、"相手選手に拍手を送る"だった(*5)。

なぜ「自分自身をを応援する」という話で他人を褒める高岸氏を出すのかと思われるかもしれないが、私たちはもはや気合を入れて盛り上がることができず・他者から応援される・あるいは応援することしかできないのではないか、と感じているからだ。

あたかも他人を応援するように

社会学者の奥村隆は、現代社会を「没頭を喪失した社会」なのではないかと主張する。
「没頭を喪失する」とは一言でいえば、常に自分を達観視してしまうという状況を指す。
例えば、友人と遊んでいるとき「自分がその場に仲間として馴染めているだろうか」と状況を客観視していたり、食事をするときおいしさを味わうよりも「これはカロリーが高いが高タンパクだから許せるだろう」と健康/不健康のプラマイを計算していたり、趣味に没頭する時間を「この時間は将来役に立つだろうか」と逆算してみたりする。
このときわたしたちはその状況に対して没頭できていない。

アニマル浜口氏は、まさに「気合い」によって状況に没頭している。
一方で、呪術廻戦の西宮、ティモンディー高岸氏は没頭しているというよりも達観視しているように思える。
「がんばって!」と声をかけるのは、その状況の外から声をかける人たちではないだろうか。

呪術廻戦の西宮は、自分自身をあたかも他人のように鼓舞し褒めることで応援している。
常に自分自身に距離をとりつつ観察し、自分自身を応援する。
だからこそ、真に没頭している人たちは魅力的に見える。

出典: 芥見下々『呪術廻戦 5』第35話(*6)

そうは言っても、没頭することが難しい現代社会の中で達観しつつもうまく自分を応援しながら生きて行くことは実際必要なことだ。
うまく自分のお世話をして、生きて行くのだ。


親知らずがんばれ?

さっき右の下の親知らずを抜いた。
周りの抜歯経験者らから脅されていたような麻酔を刺す痛みはほとんどなく、麻酔もしっかり効いて抜歯自体もほとんど痛みがない。

実際どうやって抜いているのかは見えないし、感覚もないのでよくわからないが、結構力技で抜いていることは確かみたい。
私がすることといえば、抜こうと引っ張る力に対して反対側に抵抗すること。
怖さを誤魔化しつつ終わるのを待つ(*7)。

大きい塊が抜けたような雰囲気があった後も先生がなにかがりがりとやっているのでおそらく抜け切れていないものが残っているのだろう。


衛生士「先生、切開しますか?」
:(;゙゚'ω゚'):
医師「いや、しない」
( ´ ▽ ` )ホッ


「親知らずがんばれ👍」

ふと頭の中で浮かんだ言葉(施術中は当たり前だけど声には出せない)。
でも、その次には「いや親知らずががんばったら逆に抜けないのでは?」と思い、「歯茎がんばれ👍」と思う。
「いやいや、歯茎もがんばったら逆に親知らずを離さないでしょ」
「じゃあ、親知らずも歯茎もがんばらないで?、、、、」

冷静に考えれば、この状況でがんばっているのは医師と歯科衛生士なのだけれど、患者として私もがんばらなければいけないし、第一、声の出せない状況で声が届くのは自分に対してのみだ(*8)。

というわけで、私は私の親知らずと歯茎に応援の言葉をかけなければならないのだけれど、なんて声をかければいいのかわからない。

そんなかんやで、先生から「終わりましたよ。お疲れ様でした」と言われてしまった。

あの時私はなんて声をかければよかったのだろうか。
来月ももう一本抜く予定なので、それまでに考えておかなければ。

がんばろうとする自分にさりげなく声をかける方法。
紛れもなく、現代社会で求められる技術の一つだろう(てきとう)

*1: 最近読んだ本をパクってにインスパイアされて、脚注をたくさん入れて見ている。入れ方はちょっと違うけど。ただ、文字数表記をどうすればいいか迷ってこれ。
*2: 推しは真希先輩。楽しみなのは宿儺vs伏黒。アニメ早く見たい。
*3: 一発屋といえば小島よしお。確かちょうど小学生のときにバカ売れしていた。今はYouTuberらしい。
*4: しっくりこないというのもあるが、正直実際目の前にいたら鬱陶しいと思う。自分のチームのコーチや親がこんな感じだったらやめることを本気で考えると思う。
*5: 個人的には、勝負の中で相手に拍手されたらイラっとすると思う(あくまで勝負の場でということね)。スポーツの中で、負けた人間が相手を褒めるときは「指導稽古など上下関係がある場合」「自分はファンやサポーターで相手選手が本当にいいプレーをしたとき」など対等でない、あるいは外から見ているとき、あるいは「自分のベストの勝負で相手がそれを上回ったとき思わず」というような極限の勝負の状況で、という場合ではないだろうか。まあ、彼の芸風なのだろうけれど。その点、松岡修造は没頭したプレーをしているように見える(お笑い芸人じゃない)。いずれにせよ、ティモンディやぺこぱといった肯定芸人がこれからどのように進むのかということは結構気になる。
*6: このシーンは、まさに東堂以外の人間が達観視しているように見える。メカ丸は「退くようだナ」といい(お前が退くんだろ)、三輪ちゃんは「良かったー!!」と当事者にならずに済むことを喜ぶ。真衣は、「ダサ」と退くことを評価(退くのはお前だろって)。一方、東堂はベストフレンド(妄想)とのタイマンに没頭している。
*7: 怖くないので、つい力んでしまう体の力を抜いてリラックスすることをなども繰り返していた。「抜歯なんて怖くない私」を達観視する私。
*8: 声が出せても声に出すわけない

参考文献

芥見下々, 2019,『呪術廻戦 5』集英社.

サンスポ, 2022/08/16, 「【球界ここだけの話(2779)】ムネリンが称賛したティモンディ高岸のある行動とは」(2022/08/16最終観覧)

奥村隆, 2017,『社会はどこにあるのか−−根源性の社会学』ミネルヴァ書房.

Wikipedia「アニマル浜口」(2022/08/16最終観覧)


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