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老子の警告

「徳が失われて仁が生じ,仁が失われて義が生じ,義が失われて礼が生じる」(老子「道徳経」)
 

国家衰退の原理



 国力の源は,国民の価値意識である。国家が興る価値意識,それは徳である。徳とは,融通無碍の人格力であり,人間本来の創造性と独自性である。徳ある人間のことを,聖書では「神の子」,仏教では「如来」,イスラム教では「完全人間」,論語では「聖人」,老荘思想では「真人」,マズロー心理学では「自己実現した人間」と呼ぶ。パウロのいう「キリストにあって」という心理状態も,徳を発揮する人間の特徴であろう。


 神の子としての人格から転落する時,人間は仁の状態に移る。仁とは,西洋における愛と同等の概念であろう。「~すべし」という強制的倫理。徳と仁の大きな違いは,自由の有無である。徳は自由な行為,愛は奨励された行為。そして皮肉なことに,倫理が奨励されればされるほど,人間は倫理から遠ざかる。試しに,周囲を見回し,歴史を調べてみればよい。愛を口にする人間ほど,人を愛さない。逆に言えば,他者を愛さない人間ほど,その穴埋めとして愛を高唱する。無教会主義を唱道した内村鑑三はかつて言った,「愛を高唱するキリスト教は既に堕落している」と。実に然りである。


 他者へ能動的関与する仁を失う時,人間は義の状態に移る。義とは,「~するな」という禁止の倫理である。他者への消極的関与である。嘘をつくな,人様を傷つけるな,常識に反するな,悪を犯すな。そして,浅薄な人間ほど,「消極的倫理さえ教え込めば子は健全に育つ」と誤解している。しかし禁止的命令は,人間に二つの作用をもたらす。もし反抗的な人間であれば,禁止されればされるほど欲望が盛んになり,かえって禁止事項を犯すに至る。もし小心者の人間であれば,禁止された事柄を避けるが,その代償として他の悪を犯すに至る。まるで,一箇所の出水を止めることができても,他の箇所からダムが決壊するように,人間内部の欲望は留まることを知らず,その人の傾向性に合わせて溢れ出る。


 個人的倫理に訴える義を失う時,人間社会は遂に礼を導入せざるを得なくなる。この場合の礼とは,現代における法律のようなものであろう。抑制の効かない人間を,国家権力が力でねじ伏せるのである。ここに至って,もはや倫理は形式的となり,野獣(国家=ホッブスのいうリヴァイアサン)をもって野獣(罪に使役される人間)を制さざるを得なくなる。では,法律によって国家は善化するのだろうか?いや,むしろ逆である。年々歳々法律は増加し,年々歳々国力は衰退していく。国民の道徳的エネルギーが興国の原理である。道徳的エネルギーを失い,法律によって形式的に維持するしかない国家は,遠からず衰亡する。これが,リアリズムを重視した歴史家ランケの結論である。

日本社会の現状


日本人の価値観


 徳を失って仁が生じ,仁を失って義が生じ,義を失って礼が生じる。しかし日本社会は,さらにその先まで行ってしまった。礼さえ失って,欲が人間心理の玉座にのぼったのだ。完全なる利己主義の勝利。最も人気のある学問は経済や経営であり,最も不人気な分野は宗教や哲学となった。つまり,神や真理よりも金がすべてとなったのだ。「現代社会は資本主義だから,金が重視されるのは当たり前ではないか!?」そう詭弁を弄する人間もいるであろう。私が言いたいのは,「金に象徴される利己主義が心を占拠した」という意味である。「拝金主義や物質主義に陥っただけでなく,人生観があまりにも低俗になり,高貴なものが一切わからなくなった」ということである。

日本の滅亡


 私は,現代日本を見渡す時,滅亡寸前のユダヤを連想せずにはいられない。試みに,滅亡直前のユダヤの記事を読んで,現代日本と比較してみて欲しい。

「天よ,聞け。地も耳を傾けよ。主が語られるからだ。『子らはわたしが大きくし,育てた。しかし彼らはわたしに逆らった。牛はその飼い主を,ロバは持ち主の飼葉おけを知っている。それなのに,イスラエルは知らない。わたしの民は悟らない』」(イザヤ書1-2・3)

 国民が創造主である神を忘れ,しかも,自分たちが忘れたことさえ忘れている。子が親を忘れることを忘恩と呼ぶ。人間が神を忘れることは,最大の忘恩である。

「お前のつかさたちは反逆者,盗人の仲間。みな,賄賂を愛し,報酬を追い求める。孤児のために正しい裁きをせず,寡婦の訴えも彼らは取り上げない」(イザヤ書1-23)

 政治家は利欲を貪り,自らの保身しか考えず,日本社会のために奉仕しない。彼らの耳はあまりにも欲に敏感で,日々の生活に喘ぐシングルマザーやその子どもたちの嘆き声が聞こえないのだ。投資せよ?金融リテラシーを持て?一般庶民にそれだけの余裕があるか否か,街に出て聞いてみればよい。

「わたしは,若い者たちを彼らのつかさとし,気まぐれ者に彼らを治めさせる。民はおのおの,仲間同士で相しいたげ,若い者は年寄りに向かって高ぶり,身分の低い者は高貴な者に向かって高ぶる」(イザヤ書3-4・5)

 口先だけのポエマーが首相候補と目され,高齢者は平和ボケし,若者はカプセル化し,いずれにせよ国家の現実に目を向けない。貧乏人は金持ちに嫉妬し,有名人をサンドバックにして憂さを晴らす。一方で,金持ちは高慢になり,見た目を気にしてスポーツジムに通うが,豚のように肥え太った醜悪な内面を省みない。

「わが民よ。幼子が彼をしいたげ,女たちが彼を治める。わが民よ。あなたの指導者は迷わす者,あなたの歩む道をかき乱す」(イザヤ書3-12)

 男女平等,大いに結構。しかし日本社会は,本当に男女平等だろうか?戦前・戦中は男性中心の社会だった。戦後は女性中心の社会ではないか!?男女平等なのではなく,女性崇拝が現代人の価値観ではないか。男性中心社会が悪なら,女性中心社会も悪である。いずれにせよ,そこにあるのは,人格が失われた社会,秩序なき無法社会である。男は草食化し,女は肉食化した。男は女の尻を追いかけ,女は男を狩るようになった。そして結婚すれば,妻が序列第一位となり,子どもが第二位となり,ペットが第三位となり,夫が最下位となった。その結果は?教育の崩壊である,躾の忘却である,高貴な男性性(使命や志)の喪失である。ニートやマザコンが増える所以である。

 現代日本の現状をまとめよう。政治家は国家よりも自分を優先し,経済人はイノベーションよりも現状維持を優先し,宗教家は真理よりも金儲けに忙しく,教師は使命感を失ってサラリーマン化し,親は子どもをペット化して躾けるつもりもなく,未来を担う子どもたちには気力がない。これらを総称して「国家の滅亡」と呼ぶ。
 
「私の民の娘の破滅のために,私の目から涙が川のように流れ,私の目は絶えず涙を流して止むことなく,主が天から見下ろして顧みてくださる時まで続く」(哀歌3-48~50)
 

以下の書籍は関連本です。


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