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自由と必然


二つの人生観


 人生は運命なのでしょうか?それとも,人間の意志次第なのでしょうか?
運命論者は言います,「すべての出来事は予め決まっている」と。あるいは,「歴史は神の世界計画である」と。ならば,私は聞きたい。「もし全ての出来事が神の計画であるなら,人間は神の操り人形である。ならば,何のために人間は生まれてきたのか?」と。
 自由論者は言います,「人生の醍醐味は,未知なる可能性を切り拓くことである。人間は何にでもなれる!」と。ならば,私は聞きたい。「確かに,努力によって,ある程度のことは可能であろう。しかし人間には,才能の限界があるではないか!?」と。ひまわりの種はひまわりの花を咲かせます。バラの種はバラの花を咲かせます。しかし,ひまわりの種はバラの花を咲かせません。すなわち,すべての被造物には,先天的特性が内在しているのです。

運命と自由


 人生は必然(運命)なのでしょうか,自由なのでしょうか?ここで,自由と必然の正体を吟味してみましょう。そもそも,自由と必然の違いは,人間の認識能力に起因しています。
 例えば,ある犯罪者がいると仮定しましょう。もし,私たちがその犯罪者に関する知識(家庭環境や教育・職歴など)がなければ,厳格な刑罰を求めるはずです。人間は,行為の原因を知らない場合,行為の責任を人間に求めます。つまり,人間の自由を承認するのです。それ故,善を称賛し,悪を処罰します。
 しかし,私たちがその犯罪者の知識(不幸な生い立ちや心身の障害など)を多少でも有していれば,裁判官に寛恕を求めるはずです。人間は,行為の原因を一つでも知っている場合,行為を環境の影響とみなします。つまり,人生の必然性を容認するのです。それ故,善行を認めず,悪への憎しみを和らげます。

孤島の譬え


 もう少し分かり易くするため,今の議論を寓意化してみましょう。知識を島に,無知を周囲に広がる海と仮定します。つまり,陸が既知なる事実であり,海が未知なる事実です。運命論者とは,陸を見つめる人です。すなわち,自分の知識によって因果の連鎖を作り上げ,「すべては必然である」と判断しているのです。一方で,自由論者とは,海を見つめる人です。すなわち,未知なる領域に様々な空想を描き,「すべては自由である」と信じているのです。
 一見,両者は正反対のように聞こえます。なぜなら,片方は陸を観て,もう片方は海を観ているのですから。しかし,両者とも同じ前提の上に立っています。それは,「島は拡大しない」「知識は不変である」という前提です。

人生観の矛盾を暴く


 完全に自由な人生観も,完全に運命論的な人生観も,偽りの産物です。もし極端な運命論者がいると仮定しましょう。その人は,すべての因果を知っているはずです。原因―結果の連鎖は永遠に続きますから,彼は無限長の連鎖を知る存在と化したのです。もしすべての因果関係を知ったと称するのなら,その人は神か痴愚です。
 もし極端な自由論者がいると仮定しましょう。その人は,あらゆる原因の拘束を受けないはずです。つまり,すべての影響から除外された人間ですから,彼は時間と空間の外に存在します。もし時空を超越した存在であるのなら,その人は怪物か精神障害です。

自由と必然の関係


 この世に,完全な自由も完全な必然も存在しません。人生とは,自由と必然の混合物です。いや,自由即必然なのかもしれません。先程の孤島の譬えに戻りますと,島(知識)は固定されているのではなく,拡大もすれば縮小もします。人間の為すべきことは,海(未知)の彼方を見つつ,島(既知)を拡大させることです。その時,自由と必然は一致します。
 島は,拡大すればするほど,(海に接する)海岸線が長くなります。それと同じように,人間は認識力が高まれば高まるほど,自分の無知を自覚します。言い換えれば,知識と経験が増し,自分の運命(原因の連鎖)を知れば知るほど,自由の重みを知ることになるのです。運命と自由は,正反対の概念ではありません。運命と自由は,一段高い境地から見た場合,「同じ地平」の両極端なのです。
 自由即必然,運命即自由の境地とは,一体どんな心境でしょうか?それは,神と共に生きる境地です。神と共に戦い,神の創造に参与する境地です。運命と自由の弁証法は,使命(義務)によって止揚(アウフヘーベン)されます。「私はこうするしかないのです。ああ,神よ。我を助け給え。アーメン」帝国議会の異端審問でこう述べたルターの心境こそ,天命を自覚した人間の心情なのかもしれません。

「人間はだれでも皆,次の事を反省し考察しなければいけない。それは『天は何故に自分をこの世に生み出したのか。また天は我に何の用をさせようとするのか。自分は既に天の生じた物であるから,必ず天の命ずる職務がある。この天職―使命―を果たしていかなければ,天罰が必ずくる』ということである。ここまで,反省し考察してくると,自分は何もせずに,ただぼんやりと生活すべきではないということがわかるであろう」(佐藤一斎「言志四録」)
 

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