北行(きたいき) *2024/6/21

大きな出来事のあとで

函館カトリック元町教会レリーフから

第一日 酒田・秋田・青森(2024年5月10日 金曜日)

 二日前から会社の仕事でSさんと横手市、にかほ市、酒田市を巡ってきた。5月10日(金)午前のうちに酒田駅前で一連の仕事を終え、昼食のラーメンを食べきったとき、12時半の電車は逃すだろうと考えていると、Sさんに、仕事はもういいからどこへでもさっさといけ、といわれたので、三日分の挨拶もそこそこにし、店を出て駅まで小走りした。ラーメン屋のテレビが12:16を表示したところ。どこかへいきたいとかしたいことがあるとかそういう弾んだ思いはなく、いいようない焦りや不安で息苦しく体がだるかった。秋田行きの切符を買った。12:29に電車が出た。向かいのスーツの若い女は土産物が入ったビニール袋をかたわらにスマホをみている。どこへいくんだろう。
 Sさんに借りた『イトウの恋』(中島京子)を読んだり、居眠りをしたりすると秋田駅についた。次の電車まで一時間ほどあるらしい。
 コンビニで50,000円を引き出し、駅前大屋根通りをいって、千秋公園にある秋田市立中央図書館に入った。ラバーソールに張り替えたばかりの左の靴が子どものズックみたいにプッと音をたてる。『新潮』6月号「夏帆」(村上春樹)を読みたかったが雑誌架に見当たらず、二階の人気ない石川達三資料室をおざなりに眺めたあと、駅へ戻ることにした。あきた芸術劇場の入口でだれかを待っているひとの首元には火傷のあとがあった。そのひとは青っぽい日陰に入っていた。午后の通りは明るく、やや暑い。高校生のグループや若者たちにまぎれて歩いていて、かれらをとくべつにうつくしいとも瑞々しいとも感じないのは、わたしが自らをいつまでも捨てきれないからなのだろうか。そうだとするならみにくいことだと思う。
 15:52青森行き特急つがるに乗る。特急券とはなんなのか? 6,000円もする。車中で駅前の安いホテルをとる。『イトウ』を読み終え、出張の報告書の下書きをまとめはじめた。ときどきつかれて眠った。
 19時の青森駅は寒かった。どことも同じようにそれなりにきれいな駅ビルを出ると、左方にねぶたの家ワ・ラッセやガラスの扉から暖色の照明がぼっともれる商業施設があり、奥の波止場には大きな船が停まっているのもみえる。八甲田丸というらしい。北へ向いて青くひかる三角形の建物は青森県観光物産館アスパム。
 舗装された桟橋をわたり、海のほうへいった。
 海辺から街へ戻る道には若い男三人が座り込んでいて、会社帰りなのか、女がひとりでこちらへやってくる。どこへいくつもりなんだ? わたしは駐車場を横切ってホテルへいった。
 ホテルのロビーはうす暗く、菓子パンやカップ麺の自販機や古臭い観葉植物が置かれ、一角をカーテンで囲い物置にしてあり、フロントの女は、さて、つづきましては鍵のご説明です、とか、入口は20時30分に閉まります(一拍おいて)、とはいいましても正確には20時25分なのですが、といって少し笑うなど、声色をつかって演技的な話し方をした。最後に、本日のお部屋は少々とくべつでございまして、というので、不備があるのかと思うと、豪華なお部屋でございます、いつもこのようではありませんのでその点、ご了承ください、とセリフを読み上げるようにいった。
 その部屋はふつうの広さで、なんとなく電磁波という言葉が思い浮かぶキーンという不吉な金属音がどこからかした。受信機の上に置かれたテレビをつけると、ひどくノイズがかったバラエティ番組が映り、荒れた画面が落ち着くまでに長い時間がかかったうえに、チャンネルは変えられなかったし、消せなかった。
 20時近くの駅前はすでに人出が少なく、歩いているうちにほとんどの店が閉まってしまった。駅のラーメン屋も終わり、牛丼チェーンかコンビニのほか、点々とある狭い居酒屋のいくつかはやっているようだが、思い切って訪ねることができないわたしはつまらない男だと思う。数ブロックいった通りでは、バー様の店の外に若い格好の男たちがあふれでている。フォークギターと低い声色で歌うブルーハーツの「青空」が聞こえてきて、ダサかった。輪になって大声で〆のあいさつを交わしている宴席を終えた会社員のグループ、二次会の店を探して交差点で話し合うひとたちをみている。わたしはもう若くなく、かといってたったいま膝をつくでもない。行き止まりの壁にときどき肩を押し付けてみてアリバイをつくり、あとはだるくて横になっているような……そういう暮らしのさきになにかあるか? ダサい歌がまだ聞こえてくる。
 青森駅前で唯一のピンクサロンがあるという第三振興街に足を向けた。廃業したキャバレーかなにかのビル裏の短い路地のことで、真っ黒い暗がりに客引きの男がひとりで立っていた。思わずその男に気づかれるまえに引き返した。わたしにはいくところがなかった。
 Sさんによると、青森まちなかおんせんはスーパー銭湯にホテルが融合しており、風呂、酒、メシ、眠りが完結するのでとてもいい。いってみると、まだ食堂が開いていたので、名物・いがメンチとビールを注文する。
 泊まり客が数組おり、食事をしたり酒を飲み湯上りの体を休めたりしている。初老の男ふたり組、兄弟だろうか、どちらも酔って、家庭に関するなんらかの苦い事情があって行き詰まり、身の振り方がどうにもならなくなったひとりを、もうひとりがいかにもきっぱりと問題を割り切って整理してみせながら強引に励ましているという感じ。そのうち実際に元気がでたのか、あるいはやむなくテンションを切り替えたのかわからないが、うんっ、そうだよな、うんっ、そうだよな、ありがとう、そうしてみるよっ、と弱々しく朗らかに決意が表明され、あとは今夜の気分よい〆を目指してふたりのムードは上がっていったようにみえた。テーブルに残った料理を、おう、じゃあ刺身は食っちゃって! こっちはもらっちゃいます、と分け合ったり、いやあ、いい店だよなぁ! 安いなぁ! とやりだし、ほんとうは男の胸のなかにトラブルが依然うずまいているのだろうと思うと、やりきれない感じがした。わたしたちの世界。そういうものがもしもあるとするなら、それはたしかによくなくなっていった。
 コンビニで缶ビールを買って帰り、すぐにベッドに入る。テレビでは実写版『耳をすませば』がやっている。

第二日 霊場恐山・函館(2024年5月11日 土曜日)

 6:53青い森鉄道・八戸行きに乗車。野辺地駅で大湊線に乗り換え、9:02に下北駅に到着し、霊場恐山行きのバスに乗った。7名ほどの乗客があった。 
 道路が傷んだむつ市街をひと巡りし、いよいよ山道へ入ると、車内アナウンスは、カセットテープに録音された甲高い女の声による案内に切り替わった。念仏車(ねんぶつぐるま)、冷水(ひやみず)とオカルトじみた停留所がつづく。
 車内に硫黄のにおいがしてき、やがて湖畔に出て、悪しき者には針の山にみえ渡ることができないという太鼓橋を過ぎると、広い砂利の駐車場へ入った。巨大な六人地蔵が横並びしている。
 入山料500円を払い境内へ。地蔵殿へのまっすぐな参道の側溝に禍々しい色合いの温泉か水がわずかに流れており、蓋として溝にかけられた木材は折れていたり朽ちていたりする。左手には休憩所――旧宿坊や卒塔婆なのか棒杭が何本も立ってい、砂礫の丘の頂上に傾いだ仏像がみえる。次の山門をくぐると、両側に大風があればつぶれそうな木造の温泉小屋がある。薬師、冷抜、古滝の湯という。目の高さに木枠の窓があり、参道からも覗くことができそうだ。そっと木戸をあけると二畳ほどの脱衣スペースの奥に緑がかった湯舟がある。入浴してみるつもりできたが、もはやそういうひとはいないのかもしれないと思い、そういえば支度もないのであきらめた。
 地蔵殿の左方につづく岩場の小山が地獄なのだろう。ガスがでたり、風車が刺さっていたり倒れていたりする。15センチほどの小さな仏像や変色した小銭、マジックペンで記名した丸石があちこちに捨てられたように置かれている。山のほうからなにかわからない地鳴りのようなものが聞こえてくるほかはやけに静かで、大ぶりの蠅や蚊が顔面にまとわりついてくる。男女二人連れやハイキング姿の単身の中年男など、まばらな参拝者はそれぞれ距離をとりながら霊場のあるかないかはっきりしない順路を辿っていく。ネックレスをつけた若い男は地蔵や堂ごとに手を合わせ、口元にはかるい笑みを浮かべており、後を追って、また時には追われていると、その男をみて、あるいはみられていることになんとなく腹が立ってき、押さえていられない暗いものが満ちてくるようだった。わたしは神や霊、祈りや救いを信じることができない、というか関係ないし、なんらかの声が聞こえるなんてありえないことだ。そういう甘ったれたゆるしのあらわれは、もうぜったいに訪れない。わたしは、ただどうしようもなくつかれてしまいたいだけだった。
 いくつかの小山を越えると極楽浜に出る。うす緑で、風にさざ波をたてる宇曽利湖の辺の白い浜に風車や小石を積んだ低い塔がある。地獄のバリエーションのひとつだと感じたが、あとでここを極楽(天国)とするのだと知った。
 賽の河原では、早くに亡くなった子どもたちが昼間のうちに石を積み重ねることで親への功徳とするが、夜になると鬼(極卒)がやってき、その塔を崩してしまう。わたしは自分がその鬼なのだと思う。ともすれば傷ついた子どもの顔をしていながら。
 二時間ほど浜と山を歩きまわった。葉叢に隠すようにして、ねじ曲がった木の枝に白いタオルやてぬぐいがくくりつけてあるのは、なんらかのしるしなのか。地の果て、といってみたいが、次のバスで帰るはずのわたしの安くズルい感傷だろう。
 食堂・蓮華庵で山菜そばを食べる。売店にタオルが売っているのをみつけて、やはり浴場にいくべきか、という気持ちがおこる。再入山してもいいというので、参道に戻った。
 小屋の木戸を開けると、70歳ほどの男がちょうど下穿きを着けているところで、ふたつある湯殿の手前はとても熱く、もうひとつを水でうめた(うすめた)という。男は住まいのある鹿児島から北上しており、明日には北海道へ渡るとのこと。もう働きたくないからさ、政治家ばかりラクして得してやんなるから、と話しだしたとき、はつらつとした50代くらいの男が入ってきた。男はもうひとつの浴場にもいってきたといい、すぐに裸になると熱いほうの湯殿に足を入れ、無理だっ、といった。
 湯につかる。男によると硫黄の成分が強く、3~5分ほどであがったほうがいいそう。着替えながら聞いたところでは、台東区上野在で北へ旅しており、明日は北海道にいくらしい。わたしがバスで青森駅へ帰るというと、たいへんだね、といった。
 13:07発のバスに乗った。下北駅で電車を待つあいだに青森フェリー乗り場に電話して予約方法を問い合わせると、予約不要、乗船受付の〆切は出航40分前とのこと。
 16:25に青森駅に到着した。駅構内を走ってタクシー乗り場にいき、一か八かとフェリーターミナルへ向かうと、どうにか間に合って17:15発の券を買うことができた。函館行、スタンダード旅客運賃2,860円。
 乗客はあまり多くなく、いくつかある雑魚寝スタイルの客室のひとつを占有することができた。デッキに出て本土が離れていくのを眺める。若い夫婦か親戚の集まりが連れた子どもたちははしゃいでいる。日没にはまだ早いが、みな陽が落ちていくだろうほうへスマホを向けていた。
 喫煙所で、ナイロンジャケットを着てキャップをかぶった若い男に、旅行か、と尋ねられた。男は、仕事を辞め、当月はじめからバイクで日本一周をしているのだといった。兵庫から北上し、そのあと南方もまわる計画。観光をするとキリがないのでとにかくひと周りすることを目指してどんどん走るのだという。わたしは男を同年代と考えてしまうが、おそらく十は離れているだろう。わたしはこういう思い切りがなかった、と感じるとともに、そんなことをしたってなんにもならないじゃないか、という思いもする。
 それからは窓辺の机で仕事の報告をまとめたり、テレビをつけて横になり『釣りバカ日誌4』を観たりして過ごした。函館駅前のカプセルホテルを二日分とった。
 20:30過ぎ、間もなく港へ着くころ荷物をまとめてロビーへ出ると、さきほどの若い男といあわせた。宿はどうしているのかと訊くと、野宿かネットカフェがほとんどだそう。北海道の夜間の気温が予想できないが様子をみながらやっていくつもりだといった。なにかまとまった挨拶をしようと考えていると、男はさきに、では、といって去った。
 五稜郭駅までは歩くことにした。函館フェリーターミナルの広い駐車場から大型トラックばかり走る道路に出ると、ラッキーピエロ港北大前店が耀いている。びっくりドンキーをさらに「アメリカ」風に飾りつけ派手なアトラクションにしたといえばいいか。チャイニーズチキンバーガーをテイクアウトで注文するとハンバーガーを模した巨大なベンチで待つようにいわれた。
 バーガーをもらい店を出ると、さっき別れたばかりのバイク旅の男が駐車場に入ってきた。観光はしないといったこいつもラッキーピエロにはいくらしい。スーパーカブの荷台のボックスにホワイトボードが取りつけてあり、日本一周しています、気軽に話しかけてください! といったことが書いてある。放浪さえ似たり寄ったりのありふれたコンテンツだと思うとおもしろくなかった。男にいわれるままにツーショットを撮った。はいチーズ、というのに笑っていなかった。ストーリーズにあげていいですか、というので、もちろんオッケー、と答え、そのアカウントを教わらずに別れた。どうでもよかった。チャイニーズチキンバーガーは大きくてタレの味が濃く、それなりにおいしかった。夜のふつうの街道を歩いていると、遠くへきたという実感がじょじょにしてくる。五稜郭駅から電車に乗って函館駅にいった。
 函館駅前は22時をまわってもそれなりに明るく、人出があった。交差点の角にちんころと書いたボードを出して若い男女が座っている。占いか賭け事だろうか。チェックインの時間を超過しているが、せっかくだから名物を食べてしまおうと思いラーメン屋・四代目に入る。酔った中年の男ひとりと数人の若い女のグループが券売機のまえに溜まってなかなか列が進まない。腹が空いていないのでハーフサイズの函館塩ラーメンを食べる。ラーメンは東京で食えばいいと思った。店内のすべての客が酔っていて、男女関係の話しばかりが聞こえてくる。窓の外を暴走族が誘導棒を振り回しながら走っていった。
 ホテルにつき、滞在に関する説明を受ける。当夜はすでに浴場が閉まっているそう。荷物はロッカーに入れるようにと鍵をもらった。カプセルゾーンのドアを押し開くと、通路の暗がりに青いスプレーで塗装した事務用ロッカーが置かれてあり、開けると古くて濃い小便のにおいがした。
 カーテンで仕切られたところに二段のカプセルが並んでいる。通路の灯かりは消えており、ランプが点いている部屋も少ない。いびきが聞こえる。物音をたてないように自室に潜り込み、かんたんな荷解きをしてから、ホテルを出た。
 ちんころの男女のまわりには、もう数人の男や女が集い座り込んで酒を飲み、騒がしい。男たちが通りの向こうにいる女たちに大声で呼びかけたり、いきすぎる女に手招きしたりした。缶ビールを飲みながら駅のあたりを一時間ほど歩いて、ホテルに帰り眠った。

第X日 にかほ市内(2024年5月8日 水曜日・夜)

 5月8日(水)午前、新庄駅でSさんと合流し、レンタカーを借りた。羽州街道――国道13号線を北上し横手市で商用を済ませ、夕方、にかほ市内のホテルへついた。歩いて3分ほどのところにある居酒屋で食事をし、ビール数杯と酒も少しもらった。部下としても晩酌の相手としてもSさんにとってわたしは物足りないだろう。それでもわたしとしては十分に飲みすぎ、部屋に帰ってベッドに入った。
 目が覚めるとのどが渇いた。21時過ぎだった。水を買いに傘と財布だけをもって外に出ると、波の音なのか、なにか低い感じの音がし、思いたって海がありそうなほうへ歩いていった。昼間に車中でみた地図によれば、国道・線路・海岸線が平行に並んでいたはず。外灯もあまりない夜道を、国道沿いのホテルから海に向かって下っていくイメージ。小さな踏切を越え、なるべくまっすぐ進んでいくよう気をつけながら、しかし用水路に沿って少し曲がり、いくつか角を折れていった。やはり引き返そうか、と考えはじめるころ、ひらけたところに平沢海水浴場の3メートルほどある看板が直立していた。たぶん青く、夏の昼間には涼し気なのだろうが、当夜はきわめて不気味だった。
 胸下ほどの高さの堤防を乗り越え、浜辺に下りる。ひとの気配がなく、まだ遠くにざああっ、ざああっと波が寄せている。暗くてほとんどなにもみえないが、浜にはゴミかなにかが散乱しているようだ。落ち着かない気持ちがした。ここまできたのだから、と自らに追い立てられるようにして海にふれるべく近づいていった。寒かった。わたしは堤防に隠されだれにも知られておらず、もしなんらかの事故があっても明朝まで発見されないだろう。Sさんはもう眠ったろうか。やっと波にふれた指を舐めるとなんの味もしなかった気がする。急いで、振り返らずに、得体の知れないざわめきから一歩ずつじぶんを引きはがすようにして戻った。浜の側からは堤防が思いのほか高く、いきおいをつけて乗り上がろうとして腿を打った。あえて声に出してうめいた。アパートの駐車場にあった自販機で水を二本買い、やや肌寒かったがオレンジジュースも買って一気に飲んだ。
 それからわたしは帰れなくなった。どうしても来た道を思い出すことができず、どう歩いても手がかりがみつからない。雨が降ってきて体が冷え、腹を下す兆しもした。人がおらず、コンビニもない。ようやっとTDK歴史みらい館の案内板にいきあたり、ホテルの手前にあったはず、と熱く期待してたどり着いたのは、ぜんぜん知らないところだった。
 つらかった。夜が明けて、朝の人出があるまではいよいよ戻れないかもしれない。公衆電話があったので交番に電話をかけ現在地と国道へ出る方法を教わろうとしたが、いくら試してもどうしてか110番につながらなかった。
 仁賀保駅を示す道路案内板をみつけた。わたしが思い浮かべている地図ではあり得ない方角を指しているが、駅にはなんらかのマップがあるだろうと考えていくと、終電が過ぎており駅員はいなかった。しかし警備会社の男が運よく巡回していた。わたしは、ホテルXから来たのだが帰れなくなったこと、スマホがないことを伝え、国道への戻りかたを教えてほしいといった。男は、車にスマホを取りにいくのでここで待っていろ、といった。思わずついていこうとすると、ここで待っていろ、ともう一度いわれた。
 そのホテルから1.7キロも離れている、と男は怪しむようにいった。あとになって考えると、申し出や状況にくわえて風貌からいってもわたしは明らかに不審者で、警戒されていたのだろうけれど、そのときはとてもうれしかった。地下道で線路をくぐり、見覚えのある国道に出た。いつまで歩いてもこのような道順を想像することはできなかったと思う。わたしは誰かに電話したかった、このことを今すぐに話したかった。
 部屋に帰り、ベッドに入った。

第三日 函館(2024年5月12日 日曜日)

 シャワーを浴び、汚れていないシャツに着替える。
 函館朝市に出かける。海産物売り場や海鮮丼屋は観光客でにぎわっており、なかでもイカ釣り体験ができる生け簀かなにかには行列ができている。うつむいて歩いていても、店々の呼び込みに声をかけられる。わたしは旅行者なのか? 出張者なのか? なんにみえるだろう? 食堂二番館でイカとマグロ赤身の紅白丼を食べる。1,300円。
 呼びかけられるのがうっとうしくて朝市を離れ、海沿いを歩いていくと、ベイエリアの金森赤レンガ倉庫についた。明治20年につくられたレンガ倉庫が4棟並んでおり、今日では土産物屋やオルゴール屋、ワインショップなどが入る。棟のあいだには運河が流れている。どこへいってもわたしたちには買い物しかすることがないのかもしれない。
 「80年代のテレビCMで有名な」八幡坂の上から、何人もの中高年夫婦が写真を撮りあうなか、わたしは薄くなりつつある髪を避けて自分の顔を撮った。太ったのか痩せたのかわからない顔をしていた。
 函館ハリストス正教会で最後の1セットだとすすめられてひと組の絵葉書を買ったり、歴史的建造物をいちおう眺めたりしてから、佐藤泰志の展示がないか期待して函館市文学館にいった。Sさんに聞いた市電の終点停留所・函館どつく前まで歩いて湯の川行に乗り、五稜郭公園前までいった。百貨店・丸井今井のジュンク堂書店で村上春樹「夏帆」を立ち読みする。
 雨が降りだした。五稜郭公園を半周し、函館市中央図書館へ。数日まえに仕事の電話をしたことがあるXさんを訪ねてみようと思いつき、蛮勇をふるってカウンターで呼び出すと、途端に浅ましい振る舞いに思えてき、腋や胸にいやな汗をかいた。におってさえいたかもしれない。Xさんと上役のX2さんが出てくださった。わたしは手土産もなく、内容がない挨拶をした。きっと気味わるかったろう。函館をおたのしみください、とX2さんがいった。
 靴が無様な音をたてないための工夫として左足でびっこを引きながら、館内をただひと巡りしてみる。なにもみない。書店や図書館に入ると、わたしのほかのすべてのひとが正しい心を生まれもっており、健やかな向上心とそれなりに高い教養を身につけているように感じられ、実際にそうなのだろうし、途方ない気持ちになり、取り返しのつかなさに胸がふさいでしょうがない。自らの詐欺っぽい来し方が後ろめたい、とそのように考えてみることも卑怯だろう。「僕は・君たち」のきたないたましいのこと「が・好きだ。」といってしまってはいけないか。
 五稜郭を突っ切って、市電に乗る。帰りの飛行機をとろうとしてみると、クレジットカードがブロックされ、動揺した。ホテルに戻り、ロビーで二時間ほどかけて出張の報告書を書き提出した。夕方になった。外にでると寒かった。
 函館山山頂行きのバス乗り場は行列した。山道を登りはじめ少しすると、バスが速度を落とす。木立のあいだから市街を見下ろすことができるという。何人かの乗客は車窓越しに写真を撮った。街のひかりがよくみえるように、と消灯されると車内のざわめきはひときわ大きくなるようだ。
 山頂でバスを降りると、雨とよろめくほどの強い風が吹いた。数メートル先をいくひとびとが濃い霧のなかへ入りみえなくなった。展望台まで上がるが、手すりさえよく目視できず、街の姿はみえない。傘をさして天候の回復を待つひともいるようだが、雨風と寒さがつらく、すぐにロープウェイ乗り場へ退く。夜景を撮ってみせたいひとがいたのだけれど、叶わなかったな、と思う。
 佐藤泰志『海炭市叙景』中の「まだ若い廃墟」は函館山をめぐる兄妹の一日を描いた短篇。できることなら、その妹がひとりで乗ったロープウェイで下山したかったが、料金は1,800円であった。高かった。来るときに乗ったバスが出るところだったので、駆け乗った。行きと同じカーブでバスはいったん停車した。わたしは窓ガラスにiPhoneをつけて、ぼやけた函館市街の写真を撮った。
 食欲はなかったが食事をして帰ろうと思い、麺屋ゆうみんで函館ちゃんぽんを食べる。900円。ホテルのロビーで煙草を吸い自販機の缶ビールを買い足しながら、やがて消灯されてもなお何時間も漫画本を読んでいた。昨夜とかわって日曜の晩はカプセルもほとんど空いており、だれの寝息も聞こえてこなかった。

第四日 函館・東京(2024年5月13日 月曜日)

 荷造りをして、ロビーでガイド本を読んでいると、すぐそばに映画館があることを知った。すぐに駆け込めば朝一の上映に間に合いそうだったが、あえて便所で用を足しながら時間が過ぎていくのを待った。
 東京は大雨だという。函館もふつうの雨が降っていた。函館朝市を歩いていると、おにいさん昨日もずっといたよね土産探してんの、と声をかけられる。なにもかも億劫で、昨日と同じ二階の店にいき1,100円のイカ刺し定食を食べる。生姜でなくわさびがついているといいのに、と思った。まあまあ美味かった。
 山の麓の坂をのぼり、カトリック元町教会を訪ねる。壁の十字架の進行像に付された物語を逆順に読んでいく。ゴルゴタの丘すなわちされこうべのことですが、とある。大きな出来事のあと、という部分をノートに書き写した。
 レンガ倉庫前の目立って観光向けの港・ベイエリアには、スターバックスや土産物屋が並んでいる。ラッキーピエロ・マリーナ末広店に入り、することがなにもないのでオリジナルカレーとウーロン茶を注文する。店内にいるのはだいたいがカップルかグループで、ひとりでいる客はほとんどない。
 カレーライスは量が多く、もったりと甘かった。食べだしてしばらくすると、わたしのそばの空いていたすべての席に団体観光客がやってき、テイクアウトしたバーガーやケースで買ったガラナの缶を配って飲み食いをはじめた。鼻頭にマヨネーズをつけたまましゃべったり、なにか食いながらプルタブを開けようとしたり、そしてわたしの腹のなかではイカとか消毒されたツマとかカレーやメシがどろどろになって腐っていく。ものを食うこと。なぜ人間はこんなにもみにくいのか。
 土産物を買い、空港行きのバスの時間まで駅の図書館・いるか文庫でトラピスチヌ修道院の写真集をめくって過ごした。ほんとうはここへいってみるべきだったと考えると惜しくなるが、キリがないんで、といったフェリーの男を思い出した。そうなんだよ、もうなにをしたってかわんないよな、と思う。
 空港行きのバスはたいへんに混み、乗り切れないひともいた。
 14:45羽田行。23,576円。
 離陸して一時間半ほど経つころ、飛行機の窓を雨の筋が斜め上方に流れていく。高度が下がっていくのかもしれない。機内のモニターを眺めて連絡すべきひとの名前を思い浮かべていると、唐突に着陸した。

*2024/5/11 停留所・冷水(ひやみず)
*2024/5/11 恐山 古滝の湯、冷抜の湯
*2024/5/11 恐山 極楽浜
*2024/5/12 函館朝市 食堂二番館 紅白丼 1,300円
*2024/5/12 函館山 山頂
*2024/5/12 函館市街 函館山を下りるバスから

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