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私という人間

私のバックグラウンド

サッカー一筋だった高校まで

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私は、小さい頃からサッカーが大好きで高校卒業まで勉強なんてそっちのけで、ずっとサッカーに熱心に取り組んでいました。

幸運にも私の通った中学のサッカークラブ、そして高校では全国大会を経験できるようなチームでした。

練習はかなりはハードだったので、他のことをする時間はあまりなく、ただただサッカーをしていました。

私の学力でいえば、偏差値48くらいで平均以下だったことは覚えています。

高校自体もスポーツが盛んな学校だったので、偏差値は高いところではありません。

そして、高校3年生になった時に、私は大きな決断をすることを迫られます。

それは、

大学に行くのか?就職するのは?

でした。

私の考えでは、日本は学歴社会であることを自負していたので、大学は大企業に就職をするために必要不可欠だと思っていました。(今は、この考えは変わりました。)

なので、指定校でいい大学に行こうと思っていたのですが、全くいい大学がないことに気づき、これは、私の大誤算でした。

そして、ついに私は、決断しました。

指定校は使わずに、一般受験で頭のいい大学に入る。

全く勉強をしてこなかった私にとってはかなり狂った決断だったかもしれませんが、これが私の出した答えでした。

そして、高校3年生の夏からサッカーと並行して勉強を始めました。

私は、理系だったので、当然理系の大学に進学するのですが、そこで大変なことに気がつきます。

授業のカリキュラムに数学3が組み込まれていない。

理系の私には数学3が必須で、なければ受験に合格するのはほぼほぼ不可能でした。

どうしようと思ったのですが、無い物は無いのでとりあえず他の教科をできるだけ完璧にしようと考えました。

そして、月日は流れ、私の高校はインターハイと全国高校サッカー選手権大会の全国大会に出場しました。

特に、全国高校サッカー選手権大会の全国大会の時は地獄でした。

なぜなら、

メンバーで受験する人は自分1人、そして試合の数日後にはセンター試験

という板挟みみたいな感じになっていたからです。

移動のバスでも単語帳を開き、宿舎に帰ると勉強をする。

メンバーのみんなのおかげで1人部屋になるとかができ、1人で部屋で大晦日も勉強して、

全然センター試験が解けない焦りと自分1人だけみんなとワイワイ遊べない辛さが私をメンタル的に追い込みました。

そして、センター試験当日。

案の定できませんでした。全国があったからではなく、そもそも実力がなかったからです。

化学、物理は範囲の勉強が終わらず、まともにできたのは数学だけでした。

ですが、これは想定済みで浪人することは決めていました。

勉強に切り替えた浪人時代

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そして浪人時代。

死ぬほど勉強しました。

毎日最低でも10時間。平均は12時間。

『もう後がない。やるしかない。絶対合格してやる。』

この気持ちが私の唯一のモティベーションでした。

ですが、数学3を初めて勉強して、

『こんなに難しい科目があるのか。』

正直、難しすぎて発狂しそうでした。

苦戦しながらも必死に食らいつきました。

ですが、英語は思っていたよりも早く理解でき、苦手意識も徐々になくなり、次第に面白くなってきました。

それは、予備校でのある英語の先生との出会いでした。

彼は、英語が国際基督教大出身の方で英語もペラペラでした。

その先生がよく私に言ってたのは、

単語なんてわからなくても文章なんて簡単に読める

でした。

正直、その当時の私には意味が最初はわかりませんでした。

言われるがままに、やってみる。するとなぜかわかりませんが、だんだんできるようになりました。

なぜか?

『それは、自分のしっかり焦点を当てて読まないといけないところが明確になるからです。』

その結果↓

『なんとなく読まなくなった。それはわからない単語の遭遇した時に予測するため。』

先生は正解をくれませんでしたが、私は多分これであってると思います。

この考えは、大学留学をしている今も変わらず頭の中に残り、意識しています。

最終的には、英語が面白くて仕方がなくなりました。

これが、一つの大学留学を決めた理由でもありました。

浪人した結果

私の努力も虚しく、浪人は失敗に終わりました。

でも、ここで手応えを感じた私はもう一浪したら絶対受かるというマインドセットに変わり、宅浪を決め勉強を再スタートさせました。

そんなある時、Youtubeをみて、海外の大学にも挑戦できるということに気づきました。

英語に興味がかなりあった私は、金額から全て調べ、日本の私立の大学に言った時と比較しました。

その結果、

理系の有名私大に行くのと、オーストラリアの大学の学費がほぼ同じ。

ということに気がつき、オーストラリア の大学にシフトしました。

地獄の資金集めと英語の上達

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最初はもちろん親に反対されましたが、

「エクセルでまとめて、プレゼンをして、かかるお金、どうやって資金を貯めるのかなど全て話して」

気合い情熱で説得しました。

⇧上の写真は実際に作ったものの一部です。

私が思うに、大学留学を反対させるほとんどの理由は

ただの情報不足に他なりません。圧倒的に高いという偏見。

です。

もちろん安いとは言いませんし、誰でも行けるとも言いません。

ですが、思っているよりもお金は抑えられます。

さらに、バイトができることは大きく、オーストラリア の時給は約1.5倍くらい日本より高いので時間に制限はありますが、かなり稼げます。

説得した後、ようやく第一歩を踏み出せました。

次に考えたのは、

どうやってお金を貯めるのか。

英語ができるだけ使えて、たくさん稼げる仕事。

これが私の条件でした。そしてある結論に達しました。それは、

『リゾートバイト』

でした。

結果的にかなり稼ぎましたが、

月平均して200時間。多い月は、220−230時間。

これも地獄といってもいいでしょう。

そんなこんなで、お金も稼ぎ、次は英語力を向上させなければいけませんでした。

そして、私が決めたのは

『フィリピンにいって短期でIELTSの勉強をし、スピーキングの練習を重点を置く』

でした。

これは、想定内だったので、稼いだお金から2ヶ月間いき、たくさんの刺激をもらってきました。(実は、1ヶ月のつもりだったのですが、英語の伸びを感じなくてもう1ヶ月伸ばしました。)

結果として全てうまく計画通りに行き、大学に入学できました。そして、今オーストラリアでバイトと勉強を両立させて頑張っています!

HAVE A GREAT DAY GUYS :)




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