家出時代 高校一年生〜チャリ逃走稚内編①〜

高校時代は、何度も家出をしていました。

今でも理由を聞かれるのですが、一度も本当の理由を話した事が無かったので当時の回想と自分の中の区切りとして書き起こしていきます。

はじめに…

私が今まで生きてこれたのは、家族と友人の支えが一番大きい。

高校時代は自分は誰からも嫌われていると思い込んでいたので、素直に受け入れられなかった。

今日、こうして当時の事を振り返ろうと思えるのも大好きな友人やいつも家で待ってくれている家族がいるからです。

心からの感謝を込めて、有り難う。

自己紹介

みなさん、はじめまして。

私の名前は白畑剛と申します。

私は、北海道の恵庭という小さな町に住んでおり札幌でホテルのバイトをしながら生活していています。

幼稚園〜高校まで地元に住んで学校も地元の高校に通う生粋の地元民でした。

小学生の頃までは、隣の家の幼馴染と毎日遊び。

中学生には部活に毎日参加して。

高校生には家出を繰り返すようになりました。

家出の始まり。

家出を始めた日は7月の前半。まだ、海の日の前でこれから夏が始まるだろうなって思う暑さが漂う時期。

家族には、部活に行く。と言い残し制服のまま自転車を漕いで稚内へと向かいました。

恵庭から稚内までの距離は220kmほど、時速10㎞で漕いでも二日あれば行ける!

短絡的な考えで地図帳から稚内まで国道の道のりだけをメモに記録して3000円ほどのお金とバック、着替え、ナイフを持っての家出。

どう考えても無理があるのに、当時は山に行けばなんとかなる。という自信のもと家をでて、まずは恵庭〜岩見沢〜深川〜留萌を目指していきます。

12号線を北上せよ。

恵庭から稚内までの道のりは、北上して左に曲がり海沿いを通って山を超えると着きます。

一つ一つの行程でも70㎞ほどありますが、距離感もないので地図だけ見て行ける!と思い、北に向かいます。

最初は、12号線という恵庭から真っ直ぐ北に伸びてる国道を頼りに北上していきました。

12号線だけでも、走行距離は115km。

朝の7時に家を出て、昼過ぎまで漕ぎ続けていました。

途中に色々と考えていました。

なぜ自分は、家出したいのか?

どうして、稚内にいくのか?

これからどうやって生きていくのか?

*家出をする理由。

家族が嫌いなわけでは、無かった。

ただ、自分の事が嫌いだった。

生きている価値なんか無いと思っていた。

コンプレックスなんて、限りなくある。

太っていた事、乾燥体質でフケが多い事、色弱で色を間違える事、頭が悪く、飽き性、根性なし、いくらでもあって、自分も嫌いで他の人も嫌いになっていた。

長所なんて、一つもない。明日なんて来なくていい。

そう思って生きていたけど、全部が嫌いだったわけじゃなかった。

一つだけ好きと思える事があった。

小学校から一緒に習字を習っている女の子が好きだった。



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