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修験道始まりの地を訪ねて。信仰の今を考える。

日本という国はその面積の約8割が山であったことから、山には神が宿ると信じられており、
畏敬の念と祈りを捧げる山岳信仰が盛んであった。

古来より続く山岳信仰を基として、
仏教や道教など様々な要素が混ざり、
日本独自の宗教である修験道が今から約1300年前に発祥した。

虎島にある修験道の開祖「役行者像」

山々での修行を行い、
心身を修練することを目的とする。
古来より里人に親しまれてきた修験道だが、
その存在を知る若い世代は、
今や数少ないのではないだろうか。

2年前まで、私もその一人だった。
人口2000人の港町。
和歌山北西部に位置する「加太」に訪れ、
まちの魅力を発信する映像制作の仕事を始めた。
そこで加太にゆかりのある、修験道の歴史に興味を持ち、学び始めたのが始まりであった。

加太から見える漁船

そして先日、ご縁があって
大峯奥駈道・葛城修験を拠点とし、
行を行われている「熊野修験」さんの修行に参加させていただく機会をいただいた。

加太は海が豊かで漁業が盛んな港町でありながら、山岳信仰である葛城修験の始まりの地でもあるという。

「なぜこの地から葛城修験が始まったのか」
そんな疑問を胸に、修行を行うため沖ノ島にゆく船に乗り込んだ。

今回の修行では、
虎島にある修験道の開祖「役行者像」を目指す。
その為には、沖ノ島に上陸し干潮時にのみ現れる岩を乗り越え、虎島に渡る。

なお虎島は修験道の聖域であるため、
渡るには特別な許可が必要になっている。

この虎島から行が始まるのだが、
ここまで来るのにも相当な運が必要となることに驚いた。

加太から沖ノ島を結ぶ航路は波が荒く、
天気が良くても当日欠航になる。
ということがしばし起こるのだ。

さらには、沖ノ島から虎島に渡る際も
干潮時でなければ、危険でとても渡ることはできないだろう。

この海を隔てた過酷な地から葛城修験が始まる。
それはこの自然こそが、聖域に踏み入れる禊なのだろうと感じた。

交通インフラが整っている現代社会においても、
さすが修験の聖域。ここまで自然に身を任せる行になるとは。

沖ノ島から聖域虎島へと渡る。

紀伊半島特有の激しい岩や崖を越えてゆく。

険しい岩山。
虎島最大の難所。崖をロープを伝い登る。
崖の中にある観念窟。


崖を登った先からは紀淡海峡を一望することができる。

こうして虎島第一経塚の行が無事に終了した。
山を歩き、海を渡り、法螺貝の音を聞き、お経を読む。

行を終えた後は、爽快感で胸がいっぱいだった。
共に行をした皆さんの顔も和らいでる。

修験道には「半僧半俗」という言葉がある。

厳しい山岳での修行を経て、
学んだ知識や経験を、里に帰ってから己の為、
社会の為に役立てる。というものである。

科学が発達した現代社会において、
宗教はどのような役割を持つのか。

世界を旅して感じた疑問の答えが、
ほんの少しだけ解ったように感じた。

修験道における「半僧半俗」の考え方は、
現代を生きる我々にも通づるものがあるのではないだろうか。





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