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「みんなの意見を持ち寄ろう」「多数決が大事」は、ときに人を堕落させる

「みんなで考えよう」というのは、良く聞く言葉ですよね。
私もたまに言います。しかも、なんだか耳に良いフレーズでもあります。

だけど、その「みんなで考えよう」というシーンでは、「関係性や安心感を育む」うえでは有効ですが、実際に「思考の質が高まるか」というと、そうでもないことの方が多いようなのです。


「思考の品質」は人の数に比例するとは限らず、逆に低減することもある

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気心の知れた人達で集まって話し合いを始めると、知らず知らずの内にその人たちの間で「今の私たちが持っている『雰囲気』や『秩序』を大切にしよう」とする意識が働くものです。

そして、その話がまとまり始めると、そこで反対意見を出すことは「雰囲気や秩序を乱す」として、賛成意見以外を言いづらい雰囲気が形成される──このような経験をされたことも多いことでしょう。

そうなってくると、現在フォーカスされている意見において、それが客観的に正しい、良いものなのかというのはもはやそれほど重要ではなく、それよりも「和を乱さないか」であったり、「(まとまっていた話が)まとまらなくなってしまうのではないか」といった観点に重きを置かれてしまうのです。

──例えば、以下のような感じですね。

・「集団で考えれば破綻しないだろう」という前提で考えてしまう
・自分たちにとって不利な情報を割り引いたり、無視・加工してしまう
・その集団内では見出せない非倫理性や反道徳性などに目をつぶってしまう
・自分たちの状態を客観的に見れなくなる
・和を乱すことから異議を唱えにくい空気になる、無条件で少数意見を是正する圧力がかかる(裏を返すと多数意見に強い同調圧力と「正しい」という感覚が芽生える)
・個人的な疑念や問題意識を最小化しようとする
・正否は検証されないまま集団での決定的が絶対となり、それを破る意見からは一団となって守ろうとする圧力が生まれる

さて、上記のような状態に陥ることを、「集団浅慮」(または「グループシンク」)といいます。

集団浅慮(グループシンク)は、私たちの日常シーンでも多く見られるものです。詳しくは、以下記事にて紹介していますので、興味を持った方はぜひ読み進めてみてください。














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