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フレネミー(frienemy)について

先日、フレネミーという造語を知った。
friend(友達)とenemy(敵)を足した言葉らしく、ポジティブなライバル関係、切磋琢磨出来るお互い高めあい系、敵のパートも内蔵した友達、という使い方もあるけれど、
主流に世間に認識されていて、問題提示として今回取り上げるフレネミーとは、シンブルに言うと
 
友達のふりした敵らしい。

あー、それな。気を抜いてるとストレスフルな方の八つ当たりサンドバックに使われる確率上がってきた今のご時世に刺さるワードだし、島国で、特に農耕文化の基づくエリア、更には一部のねっちょりした女同士のネットワークで蔓延してそうな現象であり、特徴だとオモタ。

エナジーバンパイヤやソシオパスを研究してきた私からしたら、久々に掘り下げたい分野である。
もし、人間関係で悩んでいる方がいらしたら、エナバンとソシオを調べて対処法を勉強されたら全て解決できるとはもちろん言い切れないが、気分が少しだけでも軽くなれると思うので、試してみる価値はある。

このニューワード「フレネミー」おもちゃ見つけた感も否めないが、決して心底ポジティブで恋心の様にときめくコンテンツではない。
例えてゆうなら、めっちゃやりたいわけではないけれど、やらなくてはいけない、でもやったら確実に己のスペック上げられる、そんなに苦痛ではない夏休みの自由研究みたいなポジションかも。
夏休み終わって、生徒は新学期始まってるけれど。
※余談ですが、生徒のお母様、夏休みご苦労様でした。
皆様、炎天下の蝉取り、キャンプ、海水浴、魚釣り…やり切った…駆け抜けた…もう…動けない…
ゆーてはりました。余談ですが。

もとい、大人も子供間でもどちらでもあるいじめ。
結局は、根底は、始まりは愛情の欠乏か過剰によって引き起こされている。

フレネミーもエナバンと同じように、結局嫌な気分にさせられるという結果ではいじめなのである。


人間関係、出来るならシンプルに健やかに軽やかな愛情を交換して、循環していきたいものだと思っていたし、いるし、いくのだが、所詮これはただの性善説だと捉えているように、世の中には恐怖モチベーションやネガティヴコントロール、アンガーコントールで人間関係を支配によって築きあげようとする人種もいることを、最早若手ではない私は知ってしまっている。
そんなめんどくさい割に面白みの無い人間を奴ら(仮名)と呼ぼう。
奴らは十中八九、愛情過多ではなく愛情欠乏の出身者だった。誤解されないように言っておくが、愛情欠乏スタートでもいくらでも学びから愛の戦士になれるチャンスはあるし、巻き返しやご褒美は各自のポテンシャルで何度でも得られるのがこの泥臭い地球という学舎だ。人は与えられたものしか与えられないのは事実である。しかし、機能不全の家庭で育ったとしても、祖父母や養子先の両親や恩師と呼べる先生、はたまた自分自身で愛情を生産し、建設的な人生を歩むことは大いに可能である。

なので過去のトラウマを免罪符にして良いのは25歳までです。30過ぎたメンヘラ、退会してもらった生徒の母親にも数名いましたが、ほんとみっともなくて浅ましかった。脳内おブス程美意識が許さないものはない。

では、愛情欠乏の恐怖モチベーションでコントロールを仕掛けてくる奴らの機動力は何だろう。
それはコンプレックスである。
目的はなんだろう、
死なば諸共である※同士のサムライスピリットではなく道連れの方
自分1人で崖から落ちるくらいなら近場にいる心優しきあなたを引きずり落としてやろうといった魂胆だ。

ここで質問です。

ではあなたと一緒に崖から落ちた奴らフレネミーは、目的を達成できて幸せでしょうか?

答え

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