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じぶんは佐藤雅彦先生に成りたかっただけです。 --会社員を辞めてフリーランスを選んだ理屈

はじめに

「話 聞きたいから、飲みに行こうよ」

フリーランスになると宣言してから、何人かの方から、お声掛けいただきました。同じ会社の人たちからは壮行会を兼ねて。でも、社外の友人からも同様の誘いがあったのは意外でした。

「恵まれた環境に居たのに、それを捨て去る」という、ロックな感じ、アナーキーな感じのする物語、あるいはある種の大冒険に映ったからだと思います。

でも、申し訳なかったのは、順を追って説明が出来なかったことです。自分自身そこまで思考を整理して「フリーランスになる」と決めたわけではなかったので、話はあっちへ行ったり、こっちへ行ったり。理由が散逸しているのですから、喋ろうとしたってまとまりません。

しかし、そのまま放っておくのは、節目としても勿体無いなと思い、卒業文集代わりのnoteを書こうと、筆を取った次第です。

概要

構成は、次の通りです。

まずは、結論に関係ある理由を、3ブロックに分けて書きます。
逃げの理由と、攻めの理由、そして偶然の理由です。

次に、それら理由がなぜ生まれたかの原体験を綴ります。
非常に個人的な話なので、ここから先は有料として区切りました。

続いて、後ろ髪を引く環境要因を書き、最後にサラリーマンを続けることと、フリーランスに切り替えることとの比較をした思考の部分をまとめます。

最初に断っておきますが、何かを「伝える」ためのnoteではなく、じぶんでじぶんのことを「理解する」ためのnoteですので、文章としては非常にまどろっこしいです。

なぜならば、「伝える」こと重視であれば、関係ないことを省いた文章を作りますが、今回は違うので、余計なゴミも殆ど省かず、むしろいっぱい突っ込んだまま構成しているからです。

読むのに飽きたら、お早めに離脱してください。

それでは、順に参ります。

【1】結論

以上、すべてが折り重なり、会社員を辞めてフリーランスになりました。

結論は、明白で、以上の通りです。
ここに至る理由と思考を辿っていきます。

【2】理由

【2-1】
逃げの理由:
逃避行としての選択

【2-1-1】
打刻と勤務登録という精神的拘束

基本的に、会社に対する不満はこれといって無かったのですが、数少ないじぶんの苦手とする事として「打刻」や「勤務登録」が挙げられます。加えて云うなら「交通費申請」なんてものも挙げられます。

これらは、どんな会社に行こうと付きまとうことでしょうし、難であれば学生バイトの頃から変わらないものです。ですが、じぶんは本当にこれらのことが好きになれませんでした。

事務処理が嫌いというよりは、これらをすることで「管理されている」という感覚が好きじゃなかったのです。

まるで小学生の頃、遊びに行こうとすると「どこにいくの? 何時に帰ってくるの?」と聞いてくる母親のようです。

実際、もう少し上手くやる方法はあったのかもしれません。しかし、そういった縛りのあること自体が、精神的な負荷になっていました。

こういった、じぶんの性格を幼いながらも予感していたのか、小学生の頃から「将来サラリーマンには成れないな」と、なんとなく思っていました。

【2-1-2】
賃労働と著作権の関係性と、税金がサラリーマンに経費を認めない論拠

当然ですが、サラリーマンである以上、労働に対して著作権を主張することはできません。

以前(確かWeekly Ochiaiで?)落合陽一先生が、"雇用契約というのは、『千と千尋の神隠し』で、千尋が湯婆婆に名前を奪われることが暗喩するように、じぶんの著作権を手放すこと" といったようなことを仰っていました(思い出せないので、ソースが記載できず申し訳無いです)。

言い換えて繰り返します。
労働により生み出されたモノの著作権は、法人(会社)に帰属します。

サラリーマンである内は、法人の毛皮を被って労働することになるので、労働の結果に関しても、権利は毛皮である法人の側にあり、中の人であるサラリーマンには、労働契約に基づいたサラリー(給与)が、対価として支払われます。

また、サラリー(賃金)が、なぜ労働者に支払われるのかというと、労働力の再生産のためです。

つまり、労働をして、家に帰って、飯食って寝て、そしてまた次の日も会社に来て労働ができるようするために、最低限必要と見做されるお金がサラリーです。

たまにじぶんは「やった仕事に意味があるんじゃなくて、結んだ労働契約に意味がある」なんて捻くれたことを思うのですが、以上のような理由からです。

だって、何もしなくても労働契約が結ばれていたら、サラリーは貰えますし、逆にどこまで頑張って結果を残したとしても、労働契約で定められた以上のサラリーは貰えないわけですから。

こればかりは資本主義の原理原則に紐付いてしまうので、サラリーマンやっている以上、仕方がありません。せこせこと働いた結果は、全て法人に属します。

「個の時代」だなんて言いますが、とんでもない。
労働契約って、そんなに甘いものではないと思います。

勿論、フリーランスになったからといって、全案件の著作権が、じぶんに帰属するとは思っていないです。しかし、少なくともサラリーマンのときに比べて獲得するチャンスを増やせるとは思っています。

いやあ、それにしてもなんだか思想犯みたいな文章だ笑。

なぜ、ここまで著作権に拘るのかは、以降の章にて書くようします。

ちなみに、こうした法人の毛皮と中の人現象については、サラリーマンには経費が認められていないことからも伺えます(「『給与所得控除額』があるでしょ」なんて野暮なことは言わないでくださいね。みなしの控除を、実感持って経費として認識している人がどれだけいるでしょうか)。

たとえば、じぶんは賃貸住まいです。家賃がかかります。お読みいただいている方の中には、家を購入なさった方もいるでしょう。その場合は家賃の代わりにローンの支払いがあると思います。

その家を選ぶ基準には、少なからずオフィスからの距離が検討事項に入っていると思います。つまり、働くための家でもあるわけです。しかしながら、この家にかかる費用というのは、経費として認められていません。つまり、家にかかる費用は「私的支出」扱いということです。せっかくオフィスからの距離を検討事項に入れたにも関わらずです。

こういった税金のお話は、三木義一氏の著作がわかりやすいので、
ぜひお手にとって読んでみてください。

法人の毛皮が、その毛皮を維持・強化するために掛かった費用のみが経費になるのであり、中の人がその間、特別に支払った費用(例えば、家賃)や、特別に掛けた労力(例えば、仕事を効率化するためのエクセルマクロ作り)があったとしても、それらは結果、すべて毛皮の側の資本として吸収されます。

あるいは、俗に言う社外活動等に関しても、趣味の範囲(つまりお金の発生しないこと)に留めるよう制限がかかります。その枠を飛び出ようとすれば逐一申請が必要になります。

ここまでお読みいただいて、
「いや、何かしら申請すればいいじゃん」
と、思うかもしれません。

確かに、副業の申請なり何なりで、これらの権利をある程度確保することも可能かもしれません。

しかし、買った本、参加するセミナー、受験する資格、仕事するための文具やスーツ、仕事関係の人との会食などに掛かった費用等々。こういったものの一々を仔細に渡って申請するのも現実的ではないと思います。無駄に時間がかかるのみです。

副業に関して言えば「申請をする程度の情熱すら無いのか」と言われればそれまでですが、やはりハードルがあるだけで、人間ダラけるものです。

無駄なハードルを飛び越える程の情熱を持ち合わせていたら、
今頃じぶんはプロのギタリストでも目指しています。

【2-2】
攻めの理由:
冒険としての決断

【2-2-1】
複業と仮面ライダークウガ、そして宮崎駿監督

仮面ライダー クウガは、2000年1月30日に放送開始しました。じぶんは、その頃小学校3年生です。オダギリ・ジョー扮する五代 雄介は、「2000年までに2000の技を持つ」と恩師に約束して、その2000番目の技が仮面ライダークウガに変身することになった。という設定があります。じぶんはそれに憧れました。仮面ライダーになることではなく、2000の技を持つことに。

MMO RPGで遊んでいた頃も、職種は魔法使いを選びました。なぜなら、一番スキルが多彩で使っていて楽しいからです。

サラリーマンになってからも、他の職種がやる仕事に手を出していました(本来、御法度だったかもしれませんが)。

兎に角、じぶんにできることを増やしたいのです。

企画屋稼業をやってまいりましたが、企画の決まったその先、実装に関わる、デザインであったり文章、プログラムなど、関与する面積を拡大していきたいのです。

一つの会社に居るということは、その会社に求められている役割の範囲が、仕事の範囲になります。フリーランスになることによって、この範囲をじぶんの望むかたちで拡張することができると楽観したのです。

よく耳にする「もうこの会社では充分学んだから次に行く」というのとも違います。"この会社"という括りではなく、「広告」という面積で仕事を捉えたときに、そのフィールド(商流/工程と、業務ジャンル)を、上下左右自由に行き来できるようになりたいと思っているのです。

器用貧乏になるかもしれませんが、器用になれるのであれば、それでいいんじゃないかなと思います。

そして、もう一つ。

じぶんは、鈴木敏夫プロデューサーになるよりも、宮崎駿監督になりたいと思う人です。例示する人物が大物過ぎて僭越ですが、つまりじぶんは「最終的に手を動かす」存在でいたいと思うのです。

会社に長く勤めていると、マネジメントへの道が開けてくると思います。いわゆる管理職と呼ばれる階層です。マネージャーという役割は、"プロデューサー" に近いです。

じぶんのチームにいる人物、あるいは部下の得手不得手を把握し、適材適所配置。最大限価値が生まれるよう、チームリード、管理・教育を行う。そんな役割かと思います。

そして、管理・プロデュース側に回ったときは、逆に手を動かさない方がよい、というのが通説です。じぶんの下に部下・後輩が付いているのであれば、適切なところまでやった後は「あとヨロシク!」といって帰るくらいで丁度よいのです。

山本五十六艦長の名言に、

やって見せて、言って聞かせて、やらせて見て、
ほめてやらねば、人は動かず。

というものがあります。

適切なところまでやった後、最終的なところは後進に任せ、そして褒めてやればよいのです。

ですが、じぶんの場合は、その逆です。

「それは私がやります!」

と、手塚治虫宜しく、じぶんで手を動かす側でいたいと思うのです。

山本五十六艦長の名言の逆です。全部じぶんでやって、褒められるのもじぶんの方がいい、というくらいの感覚です。

ですからやはり、長期的にサラリーマンを続けていったとしても、いずれ訪れるマネジメントという階層に、じぶんは多分馴染めないなと思うのです。(マネジメントになれる前提の傲慢な悩みですがね)

【2-2-2】人体実験としての独立

わざと自分を困った状況に置いて、どの程度対応できるか実験すること。

後に引用するじぶんのブログ(6年前の卒業旅行のもの)に書かれている一文です。

大学生の卒業旅行は、香港マカオ旅行と、西日本横断旅行をしました。いずれも1人での旅行です(それ以外に、同級生と行ったのもありましたが別腹です)。

香港マカオ旅行は、沢木耕太郎著「深夜特急」の影響を受けてのものです。ありがちな理由ですね。1人で海外旅行したのは、それが初めてでした。

旅行には、案外がっかりしました。

なんだかんだLINEで同級生たちとやり取りをしながら過ごしていると、日本で過ごすのと、なんら変わらない時間が流れていくのです。物理的風景が香港やマカオなだけで。

初めての一人海外旅行なのに、全然困らなかった。

帰国する前、香港のYWCAのベッドに腰掛けて思ったのが
「じぶんは、どんな状況なら困るのだろう」ということです。

そうして飛び出した2回目の卒業旅行が、西日本横断旅行です。

東京から名古屋まで深夜バスで移動し、そこから鹿児島(屋久島)まで歩いて旅行する。というものです。2月のただでさえ寒い中、東京では記録的な豪雪があった年でした。

こう書くと、ものすごく大変な旅行をしたように思われますが、当時(6年前)のブログにも書いている通り、

大体おぼえているのも、そんなようなことで、
別段、苦しいことをしていた覚えはないのです。
だいたいキツいこと覚えてないのです。というか、人がキツいと思うことでも、キツいと感じないのかもしれんのですね。

まー、だいたい運の良い人間なので、どんなときもなんとかなるのです。昨日も海ほたるのガラガラで2等(?)引き当てたし。

ある程度は困るのだけれど、最後には「まー、何か楽しかったっす」ぐらいの感想で片付けてしまうのです。それで済ませられるくらいには、対応できてしまっていたのです。

今回、会社という後ろ盾を外して、フリーランスになろうとするのも、この時と変わっていません。

再掲します。

わざと自分を困った状況に置いて、どの程度対応できるか実験すること。

フリーランスになったらじぶんはどうしようも無くなるのか。
それとも、案外元気にやっていけるのかを実験するのが、
今回のフリーランス化であると言えます。

北野武氏の、この言葉に近いのかもしれません。

どうせ死ぬんだから、せめて生きている間は楽をしよう、
という考えは僕の場合逆でさ、
どうせ死ぬとき楽になるんだから
生きている間はとことん辛く生きよう、
というのが僕の考え。

ドMですね。

【2-3】
偶然の理由:巡り合わせ

【2-3-1】
櫻田ラボという偶然性

「フリーランスになる」という選択に関して言えば、意志や思考とは別に、偶然による要因も大きいです。

じぶんの属するコミュニティに、オンラインサロンで櫻田潤氏の『ビジュアルシンキングラボ』があります。

元々は「インフォグラフィックの描き方を学んで、企画書づくりに役立てよう」という目的で参加しましたが、あまりノウハウ的側面は強くありませんでした。むしろ内省型として、じぶんと向き合うような課題が多く出る空間です。

そんな風に、元々はノウハウを求めて飛び込んだじぶんが得た、思わぬ収穫が、ラボにいる人たちとの出会いです。

エンジニアの方だったり、そしてフリーランスで活動されている方だったり。普段、会社のコミュニティでは出会うことの無い方々でした。

こう書くと、異業種交流会的価値のように見えますが違います。獲得を欲するスキルや、見ている世界観が何となく似ている人が集まっている中で → 異業種の方と会えた、という順番が大事です。ざっくり言うと "似た者同士" ということでしょうか。ざっくりし過ぎですが......

それまでフリーランス、つまりは個人事業主に該当する人との接点は、殆どありませんでした。八百屋さんか、特異なスキルを持ち合わせたデザイナーがなるものだと思っていました。良くも悪くも偏見ですね。

しかし、実際フリーランスとして活動されている方と話していると、むしろ働き方の一つの形態なだけであるということがわかりました。

0か1かということは大きな差です。

こうしてフリーランスの人が身近にいる環境ができたことで、「じぶんがフリーランスになる」ということも、現実味を帯びて検討できる選択肢になったのです。

しかも、ただ「知り合いにフリーランスがいる」という、よわーーーい繋がりではなく、先述の通り「ざっくり言うと "似た者同士" 」が集う中での「知り合いにフリーランスがいる」という順番での環境だからこそ、現実味を帯びたのです。

言葉を換えるなら、自己投影もしやすかったという表現になるでしょうか。

【3】原体験

ここから先は、すみません、有料枠です。

すでに充分過ぎるほど、個人的な話ばかり書いていますが、ここから先はそれが、より一層強まります。ですので、じぶんとしても「読んで欲しいのか、読んで欲しくないのか、正直分からない」のです。

それに、じぶんと余程関わりのある人でも無い限り、こんな回りくどい文章、これ以上読んでも退屈だと思うので、読み終える言い訳にできる区切りとしても、ここで線引きをいたします。

「〇〇な人は読まないで下さい」みたいな
カリギュラ効果等の心理効果を狙ってのものではありません。
本当に、只、個人的な話を書き続けているだけです。

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