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三日天下坊主

まずは #毎日note とタグを打ったにもかかわらず、きっかり3日で更新が止まったことをお詫びしたい。
お察しお通り「毎日」というのはeverydayのことであり、グレゴリオ歴に準ずるならば毎24時間のことであって、決して2日おきとか3日に一回とかのスパンではないことは明白で、まして「3日開いたけど俺にとっては毎日だし」みたいなジャイアニズム的オレゴリオ歴が通るはずもないことはきちんと理解しているので、僕は素直に首(こうべ)を垂れるしかない。

「自分との約束を守れなかった。」
この事実に関して、僕はもはや言い訳をする気にもならない。

「何事も続かないやつ」という表現を見たことがあると思うが、これこそがStory of my life(僕の人生の物語だ)と言ってほぼ差し支えない。
僕という奴は何も続かない。いや、中には続いているものもあるにはある。
しかし「続けてやろう!」と決めたことだけは何一つ続かない。
そんな「ふにゃ感」のあるやつ、それが僕だ。

思えば小学生の頃、景品欲しさに親にねだって始めた「チャレンジ3年生」に始まり、中学生の頃、モテようと思って始めたギターや、高校になってイケてると思われたくて始めた茶髪も、アメリカで覚えたリベラルアーツという思想ですら、僕は続けることができなかった。
その割に「飲酒・喫煙・ひとり遊び」といったきっと続けるべきではないものだけはしっかりと続いている。僕はそんなやつなんだけど、みんなはどうだい?

え? 3日で坊主を辞めそうな、そんな奴を探してるって?

やあ、待たせたね。僕だよ。


これについて、僕にはいくつか思うことがある。
まず前提として、僕という人間の性格というか、言わば「癖(へき)」みたいものなのだが、
「これは!」と思ったものを新たに始めてみては失敗し、その事実を振り返って分析し「ははーん、つまり僕という人間は……」と未来の自分によって裁かれることによって、なんとなく成長している気になるのが好きなのだ。

なぜって、このプロセスは「閉じている」ので、どこまで行っても安全だからだ。
つまり一連した起因の全てが「自分」にあり、それを評価するのも、その評価を享受するのもまた自分だからであって、他人の評価も価値観も一切介在しないし、なくても成り立つからだ。
わかりやすく言うなれば、僕は僕を見て僕を評価・批判し、最終的に一つ成長した僕を見つけた気になっている僕が好きなのだ。

独りよがりと罵ってくれても構わない。それはきっと的確な批判であろう。
しかし僕は問いたい。声を大にして、僕を批判しようとする人を問い詰めたい。

自分自身すらよがらせられない者に、一体何をよがらせられるというのかね?


ヨガファイア(小声)。


閑話休題。
僕は今回この #毎日note が3日で終わってしまったことについて、一つ自分なりの敗因を見つけることができたので、せっかくなのでシェアしたい。

はっきり言えば、僕は気負いすぎていたのだ。
「毎日がんばっていっぱい文章書くぞー!!」と思いすぎていたのだ。

その「かかっている感じ」がうまく働くことも世の中にはある。
多少の負荷は人に勢いと覚悟を与えてくれるものだ。

しかし「重荷」「足かせ」「義務」あたりになってくると話は変わってくる。
それらをランチの如く平らげられるひとも中にはいるが、少なくとも僕はそうじゃない。
「苦を尊ぶよりも楽を尊ぶ心の方が高いに決まっている」と決め込んでいるのだから、日々無理をし続けることにそもそも無理があったのだ。

これではうまくいくものも行かなくなってしまうだろう。

というわけで、僕はnoteでなるべく楽をすることにした。
具体的にどう楽になるかはわからないが、少なくとも「頑張る」ことをやめることにした。
なにか自分の心の中に「ストン」あるいは「ニュルン」とは言ってくるものがあるまでは、せいぜい1000文字程度でスッキリ読み切れるようなものを書いていこうと思う。

そういうものが書けるようにこれからも一生懸命頑張っていくので、何卒よろしくお願いします。

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