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新天地「福岡」の景観(2012年ponte寄稿)

1.はじめに

 私事で恐縮だが4月から、46年慣れ親しんだ関東を離れ、単身赴任で博多に住んでいる。ponteの編集に関わっている身ではあるが、この生活はしばし長くなりそうなので、これからもこの紙面で九州の話題をお届けしていきたいと思う。語りたいことはいっぱいあるが、今回は住環境が変化した、混乱の過程で「景観の評価」に対し自分なりに考えることがあったで、ここに書き留めたい。


外からの視点と内からの視点

 初めて博多に住み始めたとき、自分の心の中に「不安感」が生じた。これは20代に会社の独身寮を離れ、埼玉で一人暮らしを始めた時に持ったものと似たような感覚だった。

 博多に住んでまず「緑が少ない」「建物の高さや色がそろっておらず煩雑」「洗練されていない」など、ネガティブなイメージが心に湧き上がり、こんなところに住み続けないといけないのかという不安感が先行した。

 この思いを「あげる会」のスタッフにメールでこぼしたところ、九州出身のスタッフNさんから「意味が分からない、福岡は東京、大阪に並ぶ洗練された都市なのに」というお叱りメールをいただいた。あの時はNさんの気持ちがわからなかったが、今はよくわかる。

 ここに博多を代表する有名な中州の写真がある(写真1)。

コレを見て読者のみなさんはどう思うだろう?10年前の私は、「広告だらけでなんと品のない景観」と評価し、ある報告書に偉そうなことを書いた記憶がある。しかし博多に半年住んだ今、私はこの中洲の景観は、「閉塞感が先行する日本の中で元気をもらえる景観」と評価している。その証拠にこの界隈は夜になると、実に人で賑わう。しかもみんな楽しそう。この写真から広告を取って建物の色や高さを揃えたらよい景観になるのだろうか?多分答はNOだと思う。ただの素っ気ない景観になるはず。なぜ自分の中での評価基準が変わったのか?評価者の目線が「よそ者」から「住人」に変わったからに他ならない。景観の評価というものは、住民の視点と第三者の視点ではどうしても違うものになる。長く住めば住むほど周辺景観に慣れてきて、よそ者から見た短所が長所になることすらある。多分その逆も。ひと言でいえば「住めばみやこ」。景観に関する評価を聞いたとき、それは識者による外からの視点なのか、住民による内からの視点なのか、は見極める必要がある。初めて見る感覚と、なれた感覚ではどうしても評価に差がでるが、それはどちらも正しい。自分の故郷を悪くいう人が周囲にいるとしたら、その人を責める前に、よそ者なのか住民なのかを確認する必要があろう。これは景観の評価に限らず、原発しかり、オスプレイしかり、事業者と住民の感覚のずれが原因でトラブルになっている公共事業の問題全般に当てはまることだと思う。相反する意見は、評価者の視点が違うだけでどちらも正しいのだと思う。以下は半年住んだ住民目線の福岡の印象である。

2.コンパクトな街「福岡」

 少し猥雑な感じが楽しい中洲(写真1)は東京でいえば新宿に水辺があるような感じ、三越デパートがある天神は銀座、昔ながらのお店が並ぶ川端商店街は浅草、川に面した近代都市キャナルシティはお台場、そして巨大な駅ビル博多シティ、これらはすべて徒歩圏にあり、回遊していて実に楽しい。また一五分も車にのれば百地の人工海岸。海岸線を走る高速道路もココだけは地下に入り、近代的なビル群が砂浜に面して居るさまは、ハワイのワイキキビーチのミニ版という感じ(写真2)。

3.みなを受け入れる街「福岡」

 九州新幹線の車内アナウンスは四カ国語(日本語、英語、中国語、韓国語)で流れる。地下鉄の駅名表示も当たり前のように四カ国語。福岡都市高速(東京でいう首都高速)の案内板には「AH」の文字が並ぶ。これはアジアンハイウェイの略。フクオカでもなく、ジャパンでもなくアジア。先日名刺交換をした「アジア景観デザイン学会」の方の住所表記は「日本国福岡市東区・・・」。地図を見ていただければ判るが、福岡はアジアの一部、高速船に乗って韓国に焼き肉を食べに、日帰り旅行ができる距離にある。小学生の頃、社会科の教科書に出てきた日中の交流の歴史を証明する「漢委奴国王印(金印)」は福岡県から出土している。

 福岡はアジア圏の文化を受け入れる拠点である。いろいろな人種を暖かく受け入れており、その中には私のようなよそ者(単身赴任者や移住者)も実に多い。そして地元の方とよそ者との仲が実によい。福岡は日本の一部というよりもアジアの一部。しかし古来の文化が失われて混沌としている感じはなく、むしろ昔ながらのしきたりを守りながら、他の文化や人種を暖かく迎え入れている印象が強い。地下鉄は満員でも優先席は当たり前のように空いているし、東京なら無視して渡りそうな小さな路地の赤信号もきちんと守る。この数十年で日本人が失ったと思っていたモラルがしっかりと残っている。

4.若い街「福岡」

 博多は戦争中に空襲を受け、戦後も大水害の対策で河川改修(拡幅)が各地で行われたため、ponteで紹介できるような古い橋やまちなみは残念ながらあまり見かけない。冒頭で私が博多に持ったネガティブなイメージもここに起因している。しかし車で30分~一時間も走ると、どきりとさせられる近代化遺産が多数残っている。写真3の八女の町並みや、写真4の名島橋(選奨土木遺産)もしかり。今後紙面でこれらを紹介していきたい。


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