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#34 フミヤさんにインタビューしてみた(3)

こんにちは。あっき~です。
このnoteでは身のまわりの音楽をやっているバンドマンやシンガーや音楽に携わる人にインタビューをして、その人となりを知ってもらおうというコンテンツです。

#34 フミヤさんにインタビューしてみた(2)の続きです。

【フミヤさんのスポットライト】
直近のライブ情報はこちら。

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アニソンイベントとの出会い

フミヤ
アニメ自体は学生のころから見てたんですよ。
でも、音楽とアニメが紐づく瞬間はなかったんですよね。
大学2年生くらいのころに友だちから、「今度、アニソンバンドでライブするから観に来て」って言われて。
面白そうだなと思って、観に行ったイベントが「虹ロック」っていうイベントだったんですよ。

あっき~
そうなんですね。

フミヤ
ちょうど涼宮ハルヒの憂鬱が出だしたころで、サブカル的にもアニソンが盛り上がりはじめたころだったと思います。
はじめてアニソンのライブっていうものに出会って、イベントも楽しかったし、当時はアニソンバンドをやってる人って、元々楽器を演奏してた人じゃなくて、「好きすぎて」バンドをはじめたっていう人が多かった印象があります。

アニメやゲームに対する愛情が先行しすぎて、「(アニメに感化されて)バンドやるっきゃねぇ!」みたいな感じの人がたくさんいて、前回の記事で出てきたハードコアの感情を揺さぶられる、って部分とリンクしたんだと思います。
僕としては自然な流れで、アニソンバンドをやってみたいな、と思うようになったんですよ。

あっき~
なるほど。

フミヤ
mixiのコミュニティで「アニソンセッション」のメンバーを募集してるのを知って、「これは行くしかねぇ!」と思って参加したのが最初ですね。
そこから、コミュニティで知り合った人とバンドを組んで、ライブに出ました。
人見知りで奥手な僕がよく知らない世界に飛び込む勇気があったなと、今でも思います。
いざ入ると面白い人や優しい人、尊敬できる人が多く今でも濃いお付き合いが出来ている方がいるのは幸せですね。

(虹ロックの昔のフライヤー探したけど見つからないもんですね・・・)

より自由な活動へ

フミヤ
社会人になってから、一旦コピーバンド活動から離れたんですよ。
社会人の一年目ってひたすら忙しくて、気持ちに余裕がないじゃないですか。

あっき~
そうですね。

フミヤ
コンスタントに活動するオリジナルバンドはあったんですが、息抜きというか楽しさのみを追求する空気も欲しくなってきました。
仕事のストレスがやっぱり大きいので普段のバンド活動だけでは発散しきれないというか(笑)

社会人生活が一年過ぎたくらいで、ちょっとずつ余裕ができるようになって、また学生時代に楽しい思い出があったアニソンバンドをやりたいなと思うようになりました。
でも、大学の同級生はほぼ皆音楽を辞めて、一年以上離れてたから界隈の方々に連絡するのが何故かちょっと恥ずかしい気持ちがあったんですよ。
どうせなら一からメンバーを探そうかなと思い、これもまたmixiのコミュニティでメンバーを探してバンドを組みました。
組んだバンドでライブに出て、打上げでお酒飲んで、わいわいして、みたいな。
遊び散らかしてたなって時期ですね。

ある時に、対バンとかで知り合った人たちと飲む機会があって、ヤマシタさんと知り合うんですよ。
ヤマシタさんが当時からものすごく特撮が好きで、僕も「特撮はにわかですけど、曲はめちゃくちゃ好きなんですよ」って話をしたんじゃないかな。

あっき~
ほうほう。

フミヤ
そしたらしばらくして、ヤマシタさんから「特撮のバンドをやるから、ベースをやってくれない?」って誘われたんですよ。
その時はこれだけ長く続くバンドだとは思ってなかったんですけど、海賊版戦隊セイクリッドヘキサゴンというバンドが2013年頃出来上がるんですよね。

あっき~
なるほど。

フミヤ
このくらいの時期に知り合った人たちとの関係は今も根強いですね。
一緒にお酒飲んで、あーだこーだ言いながらしゃべってた人が多いからかもしれないですけど。
でも、一番何も考えてなかった時期とも言えるんですよね。
平日仕事して、週末バンドして、酒飲んでっていう。

2017年、上京前に開いてもらった送別会。
人生でも屈指の大切な思い出です。

あっき~
楽しかった思い出じゃないですか。

フミヤ
バンドの経歴としてはこんな感じだと思うんですけど、そこまで目立った活動をしてたな、と思ってなくて。

あっき~
そうかなぁ。
でも、海賊版戦隊セイクリッドヘキサゴンの活動はワンマンライブをしたり、結構充実してそうな気がしますけど。

フミヤ
バンドをやるモチベーションとして、「この曲やりたい、あの曲やりたい」よりも、誰とやるか、とかバンド全体のバランスを考えることに比重がありますね。

あっき~
でも、大阪にいるときからフミヤさんがライブで演奏する姿を見かける一方で、ライブハウスのスタッフをしたりして、イベントの運営のやり方を勉強したり、よりトータルな視点で活動されてたんじゃないかな、っていう気がします。

フミヤ
バンド単位じゃなくて、イベントの運営だったり、自分のやれることはなんでもやろうっていう感じでやってましたね。
これは今の行動原理にもなっていて、1つの事で1番になれないなら複合的に何かやって存在意義を出していこう、みたいな。

あっき~
ライブで見かけたころはだいたいステージから客席に出てきてベースを弾いてた印象が強いですけど。

フミヤ
あのときが一番音楽をちゃんと演奏することから遠ざかってたころかもしれないです(笑)

あっき~
ライブだし、そういうパフォーマンス含めて、ライブのエンタメとして振舞ってる人なのかな、と思ってました。

ベースソロ中にゴムパッチンをする図
(企画及び演者 奥村フミヤ)

フミヤ
今もあのころのようなパフォーマンスをやれないわけじゃないですけど「今はいい年だし、もうちょっとちゃんとしよう」っていう完全に老けた思想ですよね。

偉そうな発言ですけど、エンタメ職について公私含め色々な事が紐づいてくる立場もあるので、今は控えようと思うようになりました。

師匠との出会いからミュージシャンへ

あっき~
どういう経緯で坂本竜太さんに師事するようになったんですか?

フミヤ
僕が大学のころ、アニソン好きの友だちから「水樹奈々さんはこれから絶対売れるし、曲が良いからライブを観た方が良い」って言われたんですよ。
水樹奈々さんのライブが数千人規模でやってたころにライブを観に行って、ライブで弾いてるベースの人がめちゃめちゃカッコ良いなと思ってたんですよ。
立ち振る舞いから、ベースのテクニックから何もかもが自分の中でカッコ良くて。

あっき~
うんうん。

フミヤ
大学生を卒業する直前ですけど、坂本さんが地方でベースクリニックを開催するっていうのを知ったんですよ。
地元に帰るついでに行ってみようと思って、グループレッスンを受けました。
レッスンの後に直近のライブも観にいくぞ!と思ってこれも勢いで観に行きましたね。

あっき~
へぇ。

フミヤ
坂本さんも以前のクリニックで、自分がグループレッスンを受けてたのを認識してくれてて、そこから色々話してるうちに、坂本さんが関西でライブするときにボーヤみたいな感じで手伝うようになったのが最初ですね。

あっき~
ベースの弾き方を直接教わったりすることもあるんですか?

フミヤ
坂本さんから直接手取り足取り教わることはないんですけど、ライブに連れていってもらったり、ライブを観に行ったりして、「目と耳で学ぶ」っていう感じです。

あっき~
そうなんですね。

フミヤ
あるとき、坂本さんから「関西でセッションライブをやるから、イベントの主催を任せたい」って言われたんですよ。
それで、イベントの場所を押さえたり、フライヤーを作ったりと、オーガナイザーとしてイベントに携わるようになるのはこのときがはじめてだったんですけど、慣れないながら奔走して準備しましたね。

あっき~
ほう。

フミヤ
満を辞して告知だ!と思った矢先、坂本さんから電話がかかってきて、「フライヤーにフミヤの名前がない、お前もやるんだよ!」って言われて。
嬉しい反面めちゃくちゃ焦って感情がどこかに行きましたね。
あの辺りの人生の記憶が若干曖昧です(笑)

だって、CとCマイナーの違いも良く分かってなかった自分が、プロのミュージシャンと演奏するんですよ。

あっき~
それはすごいですね。

フミヤ
とりあえず、「やるしかない!」と思って、セッションなのに曲を覚えて、必死で演奏してましたね。
FUNKとかJAZZ系のセッションは楽譜はあれどその場の空気で展開が変わっていくんですが、ハンドサインとか見る余裕もなく音源を完コピして望むという(笑)
当然迷子になることも多かったんですが、先輩ミュージシャンが丁寧に指示を出してくれてギリギリなんとかなりました。
当時のイベントが好評だったこともあり、完全に不定期ですが開催は継続しています。

師匠とのソロ合戦(ボコボコにやられましたw)

あっき~
確か、FIRE HORNSの方々が出演されるイベントにもフミヤさんが参加されていましたよね。

FIRE HORNS at 目黒BLUES ALLEY JAPANでの一コマ

フミヤ
セッションイベントで知り合いじゃないお客さんから「せっかくこれだけ出来るんだしプロを目指せばいいじゃない。」と言って頂く機会があったんですよ。
僕の中では年齢的にも知識技術的にも難しいとは思っていたのですが、ご厚意でも僕に向けて暖かい言葉をかけてくれる方々の気持ちも大事にしたいと思って、上京したら音楽に関しては数が少なくても良いから、きちんと仕事にできることをしたいと思ったんですよ。
タダで引き受けるんじゃなくて、仕事として関わりたくて。
もちろん金銭的なもの以外に価値を見出せるものもたくさんあるので、そこは自分の成長と経験と思って参加することもあります。
最初は音楽の仕事は全然なかったんですけど、付き合いのある人たちから、少しずつ仕事をもらえるようになっています。

あっき~
すごいなぁ。

フミヤ
ただ、音楽だけで生活できないんで、並行して他の仕事もやってるっていう。
でも今の僕にはそのくらいの粒度の活動がいいのかもしれません。
自分の生活の充実と多様なインプットがあれば音楽活動にもいい影響を与えてくれるので回り回って音楽にも生きています。

あっき~
なるほど。
仕事でも音楽の話でも、最後に一言ありますか?

フミヤ
僕はエンタメ業界に30過ぎてから飛び込んで、今も携わっているところなんですけど、自分のやりたいことがあれば、いくつになってからはじめてもやっていけるんじゃないかな、ということを伝えたいです。
もちろんそれは先輩や恩人、友人など多くの人のサポートがあって今の自分が出来ているので自分だけの力とは全然思っていないです。
上京したころは2年くらいでギブアップして大阪か実家に戻るかも、って思ってたけど、なんとかなっているので。

遠くない将来に『これは僕がやりました!』って胸をはって言えるエンタメコンテンツを皆さんに届けたり、当時自分が学生の頃に受けたアニメなどのコンテンツの衝撃を、これから触れる若い世代の『感情』に僕が何かを届ける役目を担えればそんな幸せなことはないですね。

あと音楽については、本当に基礎をやった方が良いってもう一回言いたいです。
基礎をやらないと、後で僕みたいにめちゃくちゃ苦労します(笑)

あっき~
わかりました。
今日はお時間いただき、ありがとうございました。

フミヤ
ありがとうございました。
改めて自分をまとめて振り返るきっかけを頂いたあっき〜さん、このnoteにお付き合い頂きました皆様に感謝です。

インタビューを終えて

フミヤさんが関西にいらっしゃたころは、一緒にバンドをするような機会もなければ、世間話をするような関係でもなかったのに、改めて話を聞かせてもらう機会が得られたのはうれしかったです。
フミヤさん自身、過去の経歴を振り返るだけじゃなくて、当時の感情を思い返しながら言葉を選んでいるのが印象的でした。
これからもアーティストに寄り添う活躍ぶりを応援しています。

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以上でフミヤさんのインタビューは終了となります。

ここまで読んでくれてありがとうございます。
次回のインタビューに続きますので、今後ともよろしくお願いします。

記事を更新するモチベーションにつながるので、もしよければ感想をいただけると嬉しいです。

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