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#36 KaNさんにインタビューしてみた(1)

こんにちは。あっき~です。
このnoteでは身のまわりの音楽をやっているバンドマンやシンガーや音楽に携わる人にインタビューをして、その人となりを知ってもらおうというコンテンツです。

今回はKaNさんにインタビューをさせてもらいました。
音楽を仕事にするまでの経緯や、主催する「大阪キラクに軽音部」セッションへの想いを話してもらいました。

【KaNさんのスポットライト】
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主催する「大阪キラクに軽音部」セッションの情報はこちら

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あっき~
KaNさんは今年に入ってから知り合ったんですけど、改めてKaNさんの経歴や主催している「大阪キラクに軽音部」セッションのことを聞かせてもらえたらな、と思っています。
よろしくお願いします。

KaN
よろしくお願いします。
自分のことについて話すのってあまり得意じゃないので、バクスポで客観的に取り上げてもらう方がどんな人なのかが伝わりやすいのかな、と思います。
どんなインタビューになるのか楽しみです。

サブカルチャーとの出会い

あっき~
KaNっていう名前の由来は何ですか?

KaN
本名は西谷 晋(ニシタニ シン)なんですけど、KaNっていう名前は中学生のころから使ってるハンドルネームです。
中学生のころ、サクラ大戦っていうゲームにめちゃくちゃハマりしました。
ゲームをプレイするだけでは満足できなくて、チャットや掲示板でネットの人と交流するようになって、オフ会に行くくらいハマってたんですよ。
ネットで交流するにあたって、名前(ハンドルネーム)をどうしようか考えて。
歌舞伎の世界観が好きで、なんとなく「和」っぽい響きのある、KaNという名前をつけました。

サクラ大戦に登場するマシーン(光武)

あっき~
確かに、歌舞伎役者って「かんざぶろう」とか「かんくろう」みたいな名前の人がいますよね。

KaN
テレビの音楽番組で「グループ魂」を見て、ギターのクドカンさんがカッコ良かったのも、KaNっていう名前をつけた理由の一つかもしれないです。

あっき~
クドカンを映画監督で認識するより、バンドの人として認識してるのが面白いですね。

KaN
もちろん、クドカンさんがドラマの脚本家をされているっていうのも知ってましたけどね(笑)
でも、音楽番組で演奏してる姿を見ると、インパクトが強いじゃないですか。

あっき~
確かに、映画監督や脚本家の人はあまりメディアに出てくる感じじゃないから、テレビで見かける機会は少ないかもしれないですね。
中学生のころからゲームにハマってたということですが、アニメに興味を持ったのはいつ頃だったんですか?

KaN
中学、高校のころですかね。
兄がマンガ好きで、兄が買ったマンガを読ませてもらったり、アニメ雑誌を読んだりしていました。
バイトしてたので、「この作品は面白い!」っていう確信が持てる作品だったら、DVDを買って見ていましたね。
今思うと、なんでそんなにのめり込んだのか、って思いますけど。

あっき~
まぁ、でもゲームが好きだったら、アニメも割と親和性があるジャンルじゃないですか。

KaN
多感な時期にサブカル(サブカルチャー)に触れてしまったんですよね。
サクラ大戦のライブを観るために、地元から大阪に行ったことがあるんですよ。
ライブの前後でオフ会に参加したり、日本橋でコスプレイヤーの現場を目の当たりにしたり、サブカルのインプットするコンテンツが多すぎたのが衝撃的で。
今振り返ると、サブカルに携わりたくてしょうがない地方出身の奴やったな、と思います。

あっき~
じゃあ、実際音楽を仕事にするよりも前から、サブカルに携わる仕事がしたいと思ってたんですか。

KaN
サブカルに対する憧れはありましたね。
結果的にですけど、今の仕事でサブカルに携われるようになって良かったな、と思っています。

楽器との出会い

KaN
小学生のころに親の影響でピアノを習ってたんですけど、厳しくて合わなかったんですよ。
その後、中学に入ってからドラムを習いに行くようになりました。
ドラムをはじめたのは親の勧めです。
僕がマジでゲームしかやってなかったから、僕に何か趣味を見つけさせたかったんだと思います。
ドラムは楽しかったんですけど、続けていけるかなぁ?と思ったときに、家に親戚が置いて帰ったギターを見つけて、ギターに興味を持つようになりました。

あっき~
最初からギターに興味があったわけじゃないんですね。

KaN
ギターに興味を持ったのは他にも理由があって、サクラ大戦にギターを持ったキャラがいるんですよ。
ゲームのキャラがギターを持っていたのも、ギターに興味を持った理由の一つだと思います。
それから、地元のヤマハの教室に通ってギターを習うようになりました。

サクラ大戦に登場するギターを持ったキャラ
加山のコスプレをするKaN

あっき~
最初はアコギ(アコースティックギター)を弾いてたんですか?

KaN
最初は家にあるギターがアコギだったから、アコギを弾いてましたね。
高校生になると、青春パンクとか、バンドが流行ってたし、「これからはエレキギターを弾きたい!」と思うようになるんですよ。
このあたりで、ヤマハの教室から別の先生に習いに行くようになるんですけど、そこでエレキギターを教わりました。

あっき~
別の先生に習いに行くようになったのは、何か理由があったんですか?

KaN
たぶんヤマハの教室が遠くて通いにくかったから、とか。
別の先生に習いに行くようになったのは、はっきりとした理由はなかったと思います。

あっき~
なるほど。
高校のころはバンドを組んで活動してたんですか?

KaN
文化祭のライブに出るためのバンドを組んで、ライブに出ました。
氣志團の「One Night Carnival」を演奏したんじゃないかな。
学校でバンドを組んだのはそのときだけだったんですけど、ネットのメンバー募集記事を見つけて、年上の人たちが組んでるバンドに加入させてもらったりしていました。
結構アクティブな学生やったな、と思います。

高校時代に学校の視聴覚室で初めて買ったエレキギターを弾く

あっき~
確かに。
中学生のころからオフ会に参加するくらいだし、かなり活動的に過ごしてたんじゃないですか。
同級生で同じような活動をしてる人なんていなかったんじゃないですか?

KaN
いなかったですね。
でも、オフ会とかで色んな人と出会う楽しさを知ってしまったから、年上の人でも抵抗なく話ができたのかもしれないです。

高校卒業から関西に上京

あっき~
進学するタイミングで関西に出て来られたんですね。

KaN
そうなんです。
芸大のサウンドデザインコースっていうのがあったんですけど、そこに入りました。

あっき~
学校では作曲を教わってたんですか?

KaN
作曲も教わってたんですけど、当時は新設された学科だったから、教わる内容は割とふわっとしてたかもしれないですね。
「就職はクリエイター系にいきたい!」と思っていたんですけど、ギターだけで仕事をするのは厳しいし、バンドでオリジナル曲を作ったりしてたんですけど、メンバーと意見が合わないこともあって、それなら一人で曲を作る方が向いていると思ったので。
ゲーム会社にサウンドクリエイターで入る人って、音楽理論を学んでるのが前提として採用されるんですけど、僕も音楽理論についてはイチから勉強できて良かったです。
と言っても、授業のカリキュラムは割と形が決まっていないことも多かったので、大学の内外問わず、自分の知りたいことを教わりに行ってましたね。

あっき~
そうなんですね。
在学中もオリジナル曲を作って活動していたんですか?

KaN
アニメーションコースの作品に音楽をつける授業で曲を作ったり、同人イベントで「CLANNAD」の曲をギターアレンジした曲のCDを出したりしていました。
大学で知り合った同級生は、今も音楽の仕事を一緒にやっている人もいるのですが、自分と似たような意識で、同じ方向を目指している人に出会えたのが大学に行って一番良かったことかもしれないです。
友だちもクリエイター志望だったから、お互いに作った曲を聴かせ合って切磋琢磨できたので。

あっき~
大学のころはバンド活動も並行してされてた感じですか?

KaN
学生生活を送りつつ、バンドでも活動するチャンスがあれば良いなと思って、色んなジャンルのバンドを組んでいました。
最初に組んだバンドはアニソンバンドで、メンバー募集サイトで募集記事を見て加入しました。
当時は今ほどアニソンバンドの募集がなかったから、アニソンのバンドが目立ってたのかもしれないですね。
アニソンバンドでの活動は、アニソン界隈の人たちとつながりが深まって、楽しかったです。

プリキュアと江頭2:50に救われたフリーター時代

あっき~
で、大学を卒業するんですよね。

KaN
最初はサウンドクリエイターになりたいと思って、ゲーム会社に応募したんですけど、就活がなかなか上手くいかなかったんです。
それで、燃え尽きてしまって。
「自分は絶対にサウンドクリエイターになるぞ!」と思っていたから、その道が閉ざされたときに放心状態というか、全てを捨てて一度、地元に帰ったんですよ。

あっき~
そうなんですか。

KaN
クリエイターとして音楽の仕事に就く以外のビジョンがなさすぎて、燃え尽きてしまったんですよね。
結構落ち込んでたんですけど、そのときにプリキュアと江頭2:50の動画を見て元気をもらってたんですよ。

所有しているプリキュアやアニメのグッズ

あっき~
プリキュアにハマるんですか。

KaN
「こんなに前向きで頑張ってる子たちがいるし、オレも頑張ろう」って気になれたんですよ。
そこから、実家で過ごすだけじゃヤバイと思うようになって、バイトを転々としてました。
地方なので、工場で勤務する仕事に就いてみたこともあったんですけど、やっぱり自分に合わなくて。

あっき~
元々クリエイター志望ですしね。

KaN
同人誌を売ってるお店で店番をしたり、アクセサリー屋で働いたり。
そのうち、服に興味が出てきて、リサイクルショップで古着を売ったりしていました。

あっき~
結構いろんなバイトをされたんですね。

KaN
地元でバイトしてたころは、大阪に友だちも多かったから1、2週間に一度は大阪に行ってたんですよ。
そうなると、「結局、大阪に住んだ方が良くない?」って思えてきて、大阪に戻ってきました。
大阪に戻ってきて、アニソンバンドでライブに出させてもらっていたときにイベントの主催してた人と連絡を取るようになるんですよ。
それで、「作曲ができるなら、アイドルの子にオリジナル曲を書いてみない?」って言われて、音楽を仕事としてはじめるようになりました。

あっき~
なるほど。

KaN
僕がライブに出させてもらってたときにイベントを主催してた人たちが、より規模の大きな活動をする中で、僕にチャンスを与えてくれたのが嬉しかったですね。
アイドル向けに作曲するのと並行して、自分の作品を発表できる場が欲しいと思って、「東方」のイベントに参加しました。
それで、たまたま隣り合ったサークルの人としゃべるようになったんですけど、年も近くて、意気投合してたんですよ。
そのサークルの人が東京で音楽事務所に入ることになったんですけど、その人が僕を紹介してくれて、大手の事務所の仕事を引き受けるようになりました。

東方のイベントで出したCD

あっき~
メジャーアーティストの仕事を引き受けるようになったきっかけは「東方」のイベントで知り合った人がきっかけだったんですね。

幅広く活動するようになるまで

あっき~
KaNさんの個人サイトのプロフィールを見せてもらったんですけど、つのだ☆ひろ校長の「Wild Music School」に入学したのはどういうきっかけだったんですか?

KaN
プロの現場の経験を積みたいと思って、入学しました。
在学中の印象的な出来事は、GRANRODEOの飯塚 昌明さんにお会いできたことですね。
飯塚さんがGRANRODEOをはじめるより前に、栗林みな実さんの曲を編曲してたころから注目していて、どうにかして交流を持てないかな、と思ってたんですよ。
飯塚さんがつのだ☆ひろ校長のサポートを務めていることもあって、いつかお会いする機会があれば良いな、と思っていたら、飯塚さんの現場を見学させてもらう機会がありました。

つのだ☆ひろバンドの収録でe-zukaさん(飯塚 昌明)と撮影した一枚

あっき~
憧れの人の現場を体験できたのは貴重な機会でしたね。
作曲や、ギターのレコーディング以外にも、講師をやるようになるのはどういうきっかけだったんですか?

KaN
大阪で作曲をするようになったころに、たまにバンドを組んでライブに出てたんですけど、対バンの人から「僕も作曲をしてみたいんですけど、何からはじめたら良いですか?」っていう相談されたり、僕にギターを習いたいって言ってくれる人がいたんですよ。
僕からするとゼロからの経験なんですけど、そういう要望があったので、講師として教えるっていうことをやりはじめたのがきっかけです。

あっき~
そういう流れで講師もやるようになって、今はESPの専門学校で教えることもあるんですよね。

KaN
ここ数年の話ですけど、大学時代の友だちからの縁でESPでギター講師として教えています。
サウンドクリエイターになるための正規ルートからは外れてしまったんですけど、アイドルさんに楽曲提供したり、同人誌即売会で自分の作品を発表することが縁で、音楽の仕事ができるように「引き上げて」もらえたっていうのは、他の作家さんとは違って、異質なルートを辿ってきてると思います。
正直、音楽を仕事にするのは難しいかな、って思ってたこともあったんですけど、周りの人がチャンスを与えてくれて、一つ一つ着実にこなしていったから、仕事に広がっていったっていう感じです。

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ゾンビランドサガの巽幸太郎のコスプレ

次回に続きます。

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