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#37 黒柳徹雄さんにインタビューしてみた(1)

こんにちは。あっき~です。
このnoteでは身のまわりの音楽をやっているバンドマンやシンガーや音楽に携わる人にインタビューをして、その人となりを知ってもらおうというコンテンツです。

今回は黒柳徹雄さんにインタビューをさせてもらいました。
これまでの経歴や17LIVEでの活動を振り返ってもらいました。

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あっき~
はじめまして。
今回のインタビューは、うちの奥さんからの紹介で声をかけさせてもらいました。

黒柳徹雄(以下黒柳)
今までのインタビュー記事を読ませてもらったんですけど、みんな経歴がすごいですよね。

あっき~
黒柳さんも現役で楽器を続けてる人だから、今まで色んな経験をされていると思います。
雑談感覚で話してもらえたら良いので、よろしくお願いします。

黒柳
よろしくお願いします。

楽器との出会い

黒柳
はじめて演奏した楽器はホルンです。
トランペットをやりたかったんですけど、なぜかホルンを演奏してみたいと思ったんですよ。

あっき~
申し訳ないのですが、ホルンってどんな楽器かあまりイメージできないんですけど。

黒柳
ホルンはオーケストラや吹奏楽で演奏するJ-POPの曲に出てこないし、あまりソロパートのある楽器でもないんですよ。
ホルンが入ってる曲で有名なのは「ホルン協奏曲」ですかね。

あっき~
(動画を見て)聴いたことのある曲ですね。

黒柳
中学から吹奏楽部に入ってホルンをはじめて、県全体の吹奏楽部員から100人を選抜するメンバーに選ばれるくらい頑張ってたんですよ。
音楽高校に進学するのを目指すには周りの人と比べて遅いんですけど、中学2年の夏ごろから、音楽高校に進学するためにレッスンを受けるようになりました。

あっき~
そうなんですか。

黒柳
でも、技術的な面だけでなく経済的な面でも、なかなか思うようにいかなかったんですよ。
音楽学校の入試でピアノの試験があるから、ピアノを買って練習しないといけなかったので。

あっき~
受験するだけでも大変な世界なんですね。

黒柳
音楽学校の進学をあきらめたころ、友だちから「X JAPANの紅って曲が良いよ」って勧められたんですよ。
それで聴いてみたら、めっちゃカッコ良くて。

あっき~
吹奏楽からX JAPANって音楽の振り幅が激しいですね。

黒柳
X JAPANのライブ動画を見て、「ギターを演奏したい!」気持ちが強くなって、中3の正月に中古のエレキギターを買いました。

あっき~
そういうきっかけでギターを演奏するようになったんですね。

黒柳
本当はベースがやりたかったんですけど、X JAPANのベーシストのTAIJIが元々ギタリストだったというのを知って、自分もギターで基礎を身につけてからベースに転向しようかな、と思っていました。
でも、ベースに転向することなく、ギターを弾いています。

あっき~
なるほど。
高校から軽音楽部に入るんですか。

黒柳
そうですね。
自分の好きな音楽を周りに聴いてほしいと思って、X JAPANとか、LUNA SEAの曲をコピーしてました。
でも、周りの人が好きな音楽も聴いたり、コピーしていましたね。

あっき~
なるほど。
はじめてバンドでライブをしたのはどこでだったんですか?

黒柳
初ライブはJEUGIAっていう楽器屋さんのイベントに出演しました。
楽器屋さんに多目的ルームがあって、演奏したのを覚えています。

あっき~
初ライブが楽器屋が主催するイベントっていうのは、今まで聞いたことがなかったですね。

黒柳
ビギナー向けのイベントで参加費も安くて、出演しやすかったんですよ。
X JAPANの曲は難しくて弾けなかったんですけど、hideのROCKET DIVEをコピーしました。

あっき~
コピーしてる曲が、当時流行ってた曲でもないように思えるんですけど。

黒柳
当時はBUMP OF CHICKENやサンボマスターが邦楽のロックバンドでは流行ってたし、そのころに人気があったビジュアル系のバンドも聴いたりしたんですけど、あまりピンと来なかったんですよ。
やっぱり、X JAPANが活動してたころのビジュアル系バンドの曲が好きでした。

あっき~
高校はギターをがっつり弾いてたんですね。

黒柳
そうですね。
学外でもネットで知り合った人たちとバンドを組んだり、結構精力的に活動していました。

ネットでの活動をスタート

あっき~
高校卒業後はどんな活動をされてたんですか?

黒柳
ニコニコ動画のボーカロイドにめちゃめちゃハマってしまったんですよ。
ブラック★ロックシューターとか、ボーカロイドを使った曲が出始めたころで、盛り上がりもすごかったから、「自分で作った曲をネットで聴いてもらえるようになりたいな」っていう憧れがありました。
それで、自分も作曲をしてみたくなって、作曲用にPCを買うんですよ。
それまでも、着メロの作成ソフトで曲を作ったりしてたんですけど、自分のギターを鳴らして曲を作りたかったから。

あっき~
特定のボカロPが好きっていうのはあったんですか?

黒柳
特定のボカロPで好きな人もたくさんいますけど、(ニコニコ動画の)ランキングにあがってる曲を聴いたり、とにかくボカロシーン全体が好きでしたね。

あっき~
なるほど。
それで自分でも作曲したりするようになるんですね。

黒柳
PCでどうやって作曲できるようになるか調べていくと、オーディオインターフェースが必要だとか、DAWソフトや、ボーカロイドのソフトが必要になるっていうのがわかって、作曲環境を整えていきました。

あっき~
作曲環境を整えるのに必要なことは自分で全部調べたんですか?

黒柳
独学でやってました。
ネットで活躍することを夢見て、楽しいことに向かっていきたいっていう当時の熱量がすごかったんでしょうね。

あっき~
作曲環境を整えて、ニコニコ動画にオリジナル曲をアップするようになるんですね。

黒柳
そうですね。
でも、再生数は全然伸びなかったですよ。

あっき~
1曲できるまでどのくらいの期間で作ったんですか?

黒柳
たぶん、1~2週間くらいで作ったと思います。
とにかく、熱意がすごくて時間もあるから、引きこもって作りました。

あっき~
作曲で1曲作り切るのが大事っていいますよね。
作ってる途中で、ああでもない、こうでもないってしてる間に完成しなくなるって聞いたことがあります。

黒柳
はじめの3、4曲は一週間置きに作ってアップしてたんですよ。
でも、あんまり再生数が伸びなくて、作曲の頻度は少なくなっていきましたね。

あっき~
再生数だったり、コメントがついたり、反応があるとモチベーションにつながりますよね。

黒柳
作曲活動を通じて、アレンジとかミックスとか、作曲に関する技術を学べたのは良かったです。

あっき~
周りには作曲のことで意見交換できる人はいなかったんですか?

黒柳
今ほどDTMが流行ってなかったから、DTMをやってる人がいなかったですね。

あっき~
なるほど。

黒柳
そのあたりから、アニソンのバンドイベントに出演するようになるんですよ。

あっき~
どういうきっかけで出演するようになったんですか?

黒柳
対バンで知り合いになった人と仲良くなって、お互いアニソンが好きっていうのがわかったんですよ。
そこから、カラオケに行ったりするうちに、一緒にバンドを組んでアニソンのイベントに出るようになりました。
アニソンのイベントが盛んなころだったから、バンドマンの知り合いがたくさん増えましたね。

あっき~
知り合った人たちともバンドを組んで、ライブに出たり。

黒柳
そうですね。
後、ニコニコ動画のイベントに出るようにもなるんですよ。
ライブハウスのスタッフで、ニコニコ動画で活動してる人がいて、その人のユニットに誘ってもらったんですよ。
ツアーで仙台や東京でライブさせてもらいました。
このころの活動は、自分がやれることなら何でもやってたという感じですね。

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次回に続きます。

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