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#城下町大洲
月曜マガジン 今年の春は大洲町並快遊
時代変革、
変わろうとしていたところへコロナ禍が弾みを付けた。それも想定外の方向へと導いたような気がする。人と人が交流し感動に沸き悲しみを共に乗り越えていくという素晴らしさが次第に地域を変えていくとしたものだ。
が、しかし、その交流がなくなってきている。コロナ禍による非接触対応というのもそれではあるが、こうなってくると地域そのもののポテンシャルが果たしてどうだということになってくる。
観光集
月曜マガジン『写真は語る。』
これまで、現職時代のことなどを織り交ぜながら書いてきたが、では、なぜ私が写真を撮るのかということに踏み込んでみたい。
そもそも、私は最初からプロの写真家を目指していたわけではない。趣味として家族や子どもたちを撮影することを楽しみとしていたレベルのことだった。状況が変わったのは、大洲市が第三セクターの街づくり会社を立ち上げるという方向に舵を切った1998年9月当時、大洲商工会議所青年部の会長とい
月曜マガジン 新年度のスタート
令和4年度最初の月曜note 。一週間前は、まだ少し寒かったりして桜の開花が不安定だったことを思い出す。だが一週間経ってみたら既に桜は散り始めていて終焉を迎えつつある。何というお天気のいたずら・・・いや、神様のご機嫌がすこぶる悪いということにしておく。
撮影してクライアントさまへ「情報素材」としての写真データを納品する。本来は風景写真家として協会に所属している仲間の写真家さん達と同様に作品作
お知らせマガジン 写真家として
私が皆様方へ何をどうお伝えしたいか。
そのためにどういう手立てを用いてどう表現すれば良いのか。
メインステージを、四国・大洲盆地に注ぎ込む肱川流域に構え、撮影した写真を自分なりの表現に仕立てて、まずはWEBで発信していくことが、私の日々の活動だ。
2000年9月26日に「おおず街なか再生館」という情報発信ホームページを、見よう見まねで造り公開したことがその第一歩となった。以来今年で22年目。写
月曜マガジン 肱川街道写真紀行
時代の勲章
かつての時代には今日とは違った繁栄があった古い町並み。ゆっくり歩けば古の賑わいが脳裏を過るような錯覚にも陥る。泣き笑いの人生があり、商売繁盛に仲間達と祝い酒を酌み交わす日常が賑わいがあったことだろう。
戦国時代の戦乱状態から脱却し、外様ではあったが加藤家を中心とした安定の藩政時代を迎えることとなった江戸時代。6万石の大洲藩にあって支藩で新谷藩の在郷町だったのが現在の内子町だ。
月曜マガジン 肱川街道写真紀行
肱川流域の冬、早春とはいえ2月の大洲盆地の朝はめっぽう冷える。四国の地図を見ると全長約103kmの肱川が見事に北西に向かって流れ出ているのが分かる。秋から冬にかけて大洲盆地を包み込む冷え込みと雲海、そして河口に向かって流れ降る「肱川あらし」は、この地域の地形と肱川の向きが要因とされる自然現象だ。北西の季節風は夜のうちに肱川を遡り大洲盆地に溜まる。そして夜明けが近づくと河口へ向けて流れ始め、河面か
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