怪談『謎ナビゲート』
詳しい駅名や地名などは書かない。
知り合いの芝居を観に行った帰りのことである。
芝居も面白かったし、よく晴れて気持ちも良かったため、劇場の最寄りである小田急線の駅までではなく、北に進んで京王線を超え、更に北の、井の頭線の駅まで歩いて帰ってみることにした。
井の頭線まで歩いて、まだ体力も気力もあるようであれば、更に北上してJR中央線へ向かうのもありかな、と思った。
そこまでいけば自宅まではもう少しだ。
見知らぬ街をブラブラと散策する楽しみを胸に、ペットボトルを一本購入し、意気揚々と歩き始めた。
大雑把に北へ向かえばなんとかなる、と地理状況は把握していたものの、細かな道まではわからない。そこで、スマートフォンの地図アプリを使うことにした。
比較的大きな道に沿って移動すれば迷わずに着けるのだろうが、そのために大きく迂回させられたりするのが煩わしかったし、車がビュンビュン通るような道よりも、近所の人しか歩かないような静かな住宅街などをのんびりと歩きたい、という思いもあった。
そこで、地図アプリによる最短ルート案内を使用してみることにする。これを使うと、細かな道を通ってでも、目的地への最短のルートを、アプリが案内してくれる。場合によっては工事中の道を案内させられて、さんざん進んだのにグルッと引き返さなければならない、という目にもあったりするのだが、まあ、そういう目に遭ったなら遭ったで、ブログのネタになるだろう、と思いながら歩いた。
イヤホンをしながらアプリの音声案内に従って歩いて行く。
地図アプリのルート案内という機能を使うのは実は初めてで、カーナビのように「5メートル先、右折です」などと音声で案内してくれるとは思わなかったので、新鮮な気持ちで歩く。
好きな音楽を聴きながらの散歩は気持ちよいのだが、最短ルート案内が働く度に音楽が一旦ミュート状態になり、「ここを、左です」と言われるので、それは少し気になった。
完全なミュートでなく、ボリュームを少し下げるだけでも良いのではないか、と思ったのだが、ひょっとしたらそれくらいは設定で調整できるのかもしれないし、他の地図アプリならそういった機能があるのかもしれない。時間があるときにその辺も調べてみよう、などと思いながら、どんどんと住宅街を北上していく。
その内、比較的大きな通りがまっすぐ北へ伸びている道路の手前で、音声案内が「ここを、右です」と告げた。
このまま大きな通りを北上していけば京王線の駅前へ繋がることはわかっていたのだが、音声案内は右へ曲がれ、と言う。
住宅街の中の更に細い道へと誘導されていたので、これは流石にどうかな、とは思ったのだが、それこそが散策の醍醐味ではないか、と思い直し、音声案内に従うことにした。
右へ曲がり、すぐに左へ誘導される。
その先の道は突き当りで更に右へ曲がるようになっているのだが、曲がり角に建つ小さな地蔵堂の裏に大きめの木が繁っており、道の先が見えないばかりか少し薄暗い。
まだ夕方前で明るいはずなのに誰の姿もないのだが、周りを囲むように建つ家々の窓の奥からは誰かが、じっ、とこちらを視ているような気になり、「汚い身なりの男が私有地に入ってきたんですよ、とかで通報とかされたらやだな」と思い、早足気味に先へ進むことにする。
その後も音声案内は「右へ曲がれ」「左へ曲がれ」と細かい案内を繰り返し、段々とそれに従っている内に気づいた。
「これは最短ルートではない」
では、何ルートなのかと問われてもわからない。
何しろこちらは初めてこの街へ来たのだ。とにかく、北に向かえば自宅の近所にたどり着くことはわかっていても、音声案内は細かく道を曲がらせるため、少しづつ東へルートをズラされつつあった。
カーナビには似たようなことはよくあるので、過去にはこの道が最短ルートとして登録されてたんだろうか、と悩みつつも従って歩いていると、突如目の前に大きめの公園が現れた。
突然目の前の風景が大きく開かれ、壁や屋根に囲まれていた視界が急に青空を捉えたため、多少面食らっていると、音声案内が「この先、左です」と告げた。
公園の中を縦断するような道だった。
それまで細い道を歩いていた反動で、開放感のある公園の中を歩くのは大変に気分が良く、それまで鈍っていた足取りが嘘のように軽やかに歩を進める。
すると、イヤホンをした耳に再び「この先、左です」と案内が。
見ると、公園の中にポッカリと空間がある。
あの空間はなんだろう? と思いながら方を進めると、「この先、目的地です」と突然言われた。
勿論目的地である井の頭線の駅は、まだまだ先だ。
なのに、スマートフォンは間もなく目的地だと言う。
何が起こっているのだろう? と思いながら暫く歩くと、公園の中に住宅地が現れ、目の前にカラーコーンが並んでいた。
その先には家が一軒建っていた。
家の玄関口は、黄色いテープで閉ざされ、そのすぐ隣には、小さな小屋が建っており、その中に警察官が立っていた。
「この先、目的地です」
音声は再び告げた。
スマートフォンの画面を見ると、カラーコーンにより近づけなくなっている家の中が目的地に設定されていた。
あの有名な事件の!
一瞬興奮し、警察官に言って家の写真を撮らせてもらおうか、とも考えたのだが、すぐに、「どうしてここが、最短ルートで案内されたのだ?」という疑問に打ち消され、一気に気持ち悪くなったので、慌ててその場を後にした。
その後、少しだけ進むと、スマートフォンの音声案内は元の設定であった井の頭線の駅に戻っていた。
「5メートル先、左です」
そんな案内に従いながら、更に北上してJR中央線目指して歩こう、とはもう考えていなかった。
頭のなかにずっと、公園の中にニョキッと現れたような一軒だけ残された、あの家が残っていた。
そういえば、公園拡張のため、あの辺の家一帯は、地上げに遭っていたとかいう情報があったのだったっけ。
立ち退きを拒否していたその中の一軒が、あの家だったのだろうか。
何故そこを、地図アプリは案内したのだろうか。
過去の情報では、その家を通過するルートが駅への最短ルートだったのかも分からないけれど、なんか、気味が悪い。
ので、もうそのアプリは削除した。
※登場する人物名は、全て仮名です。
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