出石神社 | 但馬国一之宮

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御祭神 天日槍命伊豆志八前大神

出石神社は、天日槍命(あめのひぼこのみこと)が新羅の国よりお持ちになりました八種の神宝を出石八前大神(いずしやまえのおおかみ)として、また天日槍命の大御霊を御祭神として斎祀しています。天日槍命は、古事記、日本書紀ともに新羅国王の王子であり、日本に渡来されたとし、その事績は記紀のほか古語拾遺、播磨国風土記等にうかがうことができます。八種の神宝とは、古事記には珠二貫(たまふたづら)・振波比礼(なみふるひれ)・切浪比礼(なみきるひれ)・振風比礼(かぜふるひれ)・切風比礼(かぜきるひれ)・奥津鏡(おきつかがみ)・辺津鏡(へつかがみ)と記しています。天日槍命のご子孫には、田道間守命(たじまもりのみこと)や神功皇后があります。
神社の創立年代はあきらかではありませんが、社伝の一宮縁起には、谿羽道主命(たにはのみちぬしのみこと)と多遅摩比那良岐(タヂマヒナラキ)と相謀り、天日槍命を祀ったと伝え、諸書によりますと、およそ千三百年前にはこの地で祭祀がおこなわれていたことがうかがわれます。
但馬の国一宮として当地では別名を一宮(いっきゅう)さんと呼び親しまれています。天日槍命は泥海であった但馬を円山川河口の瀬戸・津居山の間の岩山を開いて濁流を日本海に流し、現在の豊沃な但馬平野を現出され、円山川の治水に、また殖産興業に功績を遺された神として尊宗を集めています。
現在の社殿は大正三年に再建され、透塀で囲まれた三間社流造の本殿、その前面には切妻造りの幣殿と祝詞殿があり、拝殿は舞殿形式で入母屋造り平入りで蔀戸(しとみど)をつり、正面に拝殿の屋根と独立した平唐破風出桁の向拝は他に類のない珍しい建築です。神門には丹塗の八脚門で、数多くの蟇股(かえるまた)を飾り、左右に連なる塀も丹塗りです。境内東北隅に約六百坪の禁足地があり、老樹が生い茂り、入れば祟りがあるといわれています。

出典:境内案内看板

但馬は古代日本において他に類を見ない特徴的な祭祀伝承を有しております。その中心が出石神社であります。ご祭神は新羅の国の王子 天日槍命と伊豆志八前大神(八種の神宝)でございます。命は日本に渡来後、泥水が充満する当時の但馬の有様をご覧になって、円山川河口の岩石を切り拓くことによって泥水を日本海へと流し、現在の肥沃な平野となった伝説があります。また鉄の文化を大陸から伝えられ国土開発の祖神として、関係業界から崇敬をうけて居ります。神社の西方七百米に鳥居という地名があります。昭和八年河川の改修で土中から鳥居の両柱の木口とその下から開元通宝などの古銭が多く出土しました。平安時代すでに、国内第一の霊社といわれた往時の様子を伝えるものです。なお 天日槍の子孫として多遅間守命(菓祖、中島神社御祭神)、仲哀天皇の妃 神功皇后がおられます。

出典:境内案内看板

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比賣社

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夢見稲荷社

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天神社

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市杵島比売神社

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禁足地

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旧鳥居残欠

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参道


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