Myプロフィール
【この世に性を、間違えた生をウケる、間違えた受ける】
1968(昭和43年)7月30日生まれと言われておりますが
実母いわくおそらく深夜の出産で日付は31日だったが
キリがいいので30日にしたと。
お母さん、それで僕の占い全然変わりますw
うちのWEB担当であるケイコは2つ上の実姉で
ホントはもう2つ上にもヤスコ姉ちゃんがいたんですが
僕が産まれる前に病気で亡くなっちゃいました。
3人目にして鈴木家待望の男の子ですから
ベタ可愛がられ甘やかされ育った事は僕にも容易に想像がつきます(爆)
【幼稚園のチープなエピソード】
幼稚園は行きたくない所に入れられたので何度も脱走し
結局、超可愛くて細い(身内爆w)先生のいる所で
シュッポリと落ち着きました。
【そして神の子と言われた小学生からーの】
小学校は周りのみんなを笑わせる事にしか興味がなく
全く勉強とかしなかったのに、いつも成績上位で
神の子って言われた記憶が僕にはあるのですが
母と姉はこの話は認めようとしないので事実はわかりません(^_^;)
小学校六年生まではソフトボールのチームに入っていて
たしか5年生の時にもう4番でサードやっていたので(長嶋茂雄世代www)
運動神経はまずまず良かったんだと思います。
【テニスとの出会い】
そして、その小学校六年生の時に初めて公式テニスと出会い
テニスの方がカッコ良くてモテそうだからと言う理由で
本格的にテニス道が始まり、高校2年生の夏休みまで6年間
PROの道を真剣に(365日夜22時までほぼ休みなし)目指しましたが
17歳の誕生日の時にプロになるのか、テニスを辞めるのかを決断しなければならず
当時の僕のランキングでは、そのままPROになっても
テニスだけじゃ食べていけない事を聞いたのでスパッと辞めましたw
そこからしばらくはまぁまぁ不遇の時代でしたかねぇ。
テニスでプロにならない事で目標を失い、
じゃあお前どうするんだって親にも聞かれ「俺は社長になる!」
って宣言したんですが、これほぼルフィと変わらないレベルですwww
【 初恋 】
それまで365日テニス漬けだった生活から開放され
社長になるにはまだ時間があった高校2年生の夏
最初に何か今まで出来なかった事をしたい、と考えた時の答えは
「彼女が欲しい!」でした。まぁまぁお年頃ですからねぇ(・∀・)
で、同じクラスですっごく綺麗で抜群に光ってる子がいて
その子デートに誘って、口説いて、口説いて、口説いて(笑)
お付き合いした、そんな初めての彼女と8年後に結婚しましたw
※モザイクはお許し下さい。右か左かもお許し下さいwww
【 ついに猛獣世の中に突進! 】
高校生活が終わり、俺は社長やるんだから学歴なんかいらん!と
すぐに高卒で働き出したのはHONDAの新車ディーラーでした。
勿論、毎日スーツ着た新車のセールスマンの職に就きましたが
当時はまさにバブルまっさかりっ!!!
出たばっかりのLEGENDとか高級なアコードCOUPEとか
売りまくりました。10代後半〜20代前半にしては凄いお給料頂いたんですが
ソレ全部すぐ友達と呑みいって使っちゃうので、昼間仕事にならず
お金なくなると、またクルマ売る!って言う最低な仕事内容・・・
先にも申した不遇な時代なのでお許し下さい(^_^;)
で、基本クルマ好きだったし、元々のテニス仲間はみんなお育ち良いので
BMWとかMBとか乗ってて、悔しいからなんとか買えた
VW GOLF II GTI16V買いました。(HONDAで勤めているのにwww)
で、今でも親交のあるメカニックのジュンちゃんがワンダーシビックの
フル無限仕様とか乗ってて、山に走り行ってもかなわくて、悔しくて
そこでCOXさんの扉を開けちゃうワケですね、とうとう(゚∀゚)
【 COX渦尻ビジネス学校 】
COXの創業者であり、私の生涯の師匠そして尊師である渦尻栄治会長には
本当に色んな事を、仕事で大切な様々な事を叩き込まれました。
それも基本「お前に任せた!」ってスタンスなんですよ。
アドバイスはピンポイントのみ。
そしてイタリアの当時まだ日本国内ではマイナーであった
RACING DYNAMICS(レーシングダイナミクス)というBMWチューナーの
ブランドのマネージャーをやらせていただける事になり
僕のBMWまみれな生活が始まります。
【 RACING DYNAMICSでやった事 】
日本でマイナーなくせに(笑)当時のRACING DYNAMICSの
パーツメニューのラインナップってすごくて
ほぼ全てのエンジンにボアアップキットも用意し
いまじゃド定番のテッパンメニューであるbremboのキットを
市販車のBMWに着けるなんてメニューを普通にやっていたのも
当時は世界でRACING DYNAMICSだけでした。
何度もミラノまで行きましたよっ!
マフラーだって全てエキゾーストマニホールドからエンドまでのフル
流行り始めのAC Schnitzerよりも確実に硬派であったので
それを全面に出して、日本中に拡めていきました。
更には本国仕様だと日本にマッチしないサスペンション等は
なんとか説得して日本専用の仕様を作ってもらったり
最後まで嫌だがられたけどCHIPチューニングも日本だけ許可をもらい
当時たぶんROM交換タイムアタックがあったら、メッチャやってましたから
まぁまぁ上いけたと思いますよ(笑)
しかし、RACING DYNAMICSの知名度はウナギ登りに上がり
さぁ、そろそろAC Schnitzerのお尻が見えてきたぞーーー!!!って時に
ある会社に総輸入元の権利を取られてしまいました。(お金でw)
僕のBMW漬けの生活が終わる・・・
イヤだ!もっとBMWを極めたい。
その想いを渦尻会長に懇願し、いよいよStudie AGが産声をあげます。
【 Studie GmbH(ゲンベーハー)発進ッ! 】
1995年の創業当時は有限会社だったのでStudie AGではなくGmbH
10月1日のOPENの日からたくさんのお客様にご来店頂き
本当にホントに、本当にホントに有難く信じがたいお話なんですが
それが25年続いておりますm(_ _)m
そろそろ長くなってきましたし、ここからは様々な所でお話している事なので
まぁまぁ端折りモードで行きますが
帆足、イッキ(渡辺)、志村、佐藤はCOXからのメンバー
森井、相澤、倉本、瀬下は創業当初からのお客様(爆)
更にバンバン我こそはBMW道極めたり!という
日本中から集まった心強いスタッフにも大変恵まれ
2020年まで横浜店しかなかったStudieは
仙台、神戸、東京、名古屋にも開業し今や5店舗を構える世帯になりました。
これ以上お店を増やす為には、その土地土地の
BMW Powerが必要です。
我こそは!という方、いつでもお声掛け下さい\(^o^)/
【 Motor Racingの話 】
レース活動は2008年から始めました。
最初からSUPER-GTです。(たくさんの方にご迷惑お掛けしましたw)
渦尻会長からもメーカーとパイプを作る一番の近道だと教えられていたので
がむしゃらに、会社傾くほどがむしゃらにやりました。
そして、2011年にチャンピオンを獲った所から
本国BMW Motorsport社からお声掛け頂き今に至ります。
その後、2014年からはBMW Japanとのコラボチームに昇格もしました。
我々がMotor Racingにこだわる理由は
テクニカルの向上、会社のPR、お客様のモチベーションアップ
そして、BMW Groupとの関係向上の為です。
これは今後もブレる事なく、Studie AGの本業になる事はないと思います。
【 どうぞ宜しくお願い致します。 】
そんな私、鈴木BOB康昭は25年勤め上げた
Studie AGの社長職を退職し、今年から会長職に就く事となりました。
特にこれまでと変わる事は無いとは思っているのですが
いや、いたのですが(爆)
やっぱり他のスタッフの変化もあるので色々変わりそうです。
コロナなんかにゃー負ける気しませんが、自動運転やら電気自動車やら
僕らの業界にはこれから大きな、過去100年無かった
大きな変化が訪れますので、それをいかにチャンスと捉え
益々皆様を楽しませる事が出来るかに残りの人生を捧げる所存です。
どうぞ今後とも末永いお付き合いのほど宜しくお願い申し上げます。
そんな所かなぁ・・・
みんなプロフィールってこんな長いんですかねwww
ブーーーーーーン✈
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?