【エッセイ】想いを手紙にしたためてみる。
手紙を書くって、こんなにも難しいのかー。
物心ついたときにはメールやチャットがあった16歳のぼくにとって、手紙をしたためるという行為は、思っていたよりも難しいものだった。
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もうすぐ、ぼくの恋人の誕生日。
ひいき目なしに見てもとても良い子である彼女に、日ごろの感謝を伝えようと、手紙をしたためてみることにした。
とは言ったものの、ぼくはこれまで他人に手紙を書いたことなんて、ほとんどない。
あったとしても、プリントの切れ端にしょうもないことを書き、近くの友人に回して授業の終わりを待っていた程度だ。
自分でもびっくりすることに、「手紙をしたためる」という行為をするために、なにをすればいいか。それがわからなかった。
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とりあえず封筒と便箋は、昔買ったけれど結局使うことのなかった、茶色でシンプルなものを選ぶことにした。
誤解を生みそうなので訂正しておくが、茶色でシンプルな封筒と言っても、現金を入れる縦長のよくある茶封筒では決してない。
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では、内容はどうしようか。
手紙はPCやスマホと違って「やり直し」が利かないので、とりあえずパソコンで下書きを作ることにした。
手紙を書くために、わざわざパソコンで下書きをするというのは、いささか変な気分になる。
もはや、その下書きをメールにコピペして送信してしまえばいいのではないか。そういう考えが頭をよぎる。
でもそうはしない。
なぜなら手紙には、パソコンのメールにはない、ある種の不思議な魅力があるからだ。
手書きの温かさとか、そこに費やした時間とか、物理的な存在感とか。うまく言葉にはできないけど、そういう魅力が確かに手紙にはある。
そんなことを考えつつ、パソコンの下書きを終えた。
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続いて、手紙の醍醐味とも言える工程に入る。
執筆だ。
実際に便箋に筆を入れ、想いを紙にしたためる。
内容については、パソコンで申し分ないものができてるから、別に文句はない。
でもこのタイミングで、自分の字の汚さに腹が立ってきた。
緊張しているせいか、ボールペンはいつも以上に紙の上をスルスルと滑り、東京の下町のように統一感のない雑居とした文字の羅列を生んでいく。
もちろん読めないなんてことはないが、お世辞にも綺麗とは言い難い。
昔の人々が教養として「字の美しさ」を求めていたのは、そこに「手紙」という存在があったから。「手紙」が、人と人との間で、今よりもずっと大事な役割を果たすものだったからなんだろうな、と。そう感じた。
メールやチャットが主なコミュニケーションツールとなった現在だからこそ、「お手紙」の特別感は更に増す。
いつもはタイピングをしているからどうだっていいけれど、「お手紙」がメールやチャットを超越した特別な存在だからこそ、そこでの字の上手さはより一層重要な要素になるんじゃないかなって思う。
伝わるかな。
そんなこんなで、腹が立ちながらも、手紙をしたためることができた。
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ところで、平安時代の貴族は、「和歌」という形式のお手紙(恋文)に、お香をつけたり、なんだりかんだりデコったりしていたらしい。
授業で聞いてふうんと思っていたが、いざ自分がその立場になると、確かにお香の一つでもつけてみたくなる。
最愛の人に渡す手紙なんだから、封筒や便箋のデザインとか、口を閉じる封とか、名前の書き方とか、そういう細かいところを凝りたくなる。
今も昔も、恋する人の考えることは同じらしい。
封筒と便箋はあるけど、封をするシールがないから、明日にでも100均へ買いに行こう。
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手紙をしたためるって、(それが好きな人への大切な手紙だからかもしれないけれど、)封筒や便箋、字の上手い下手とかいろいろ気になるし、何ならフォーマットとかしきたりがあるし、難しいんだな。
でも、恋人に限らず、好きな人からもらう手紙って嬉しいよね。
たまには、想いを手紙にしたためてみるのも悪くないかもしれない。
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