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ありのままの自分と、ありたい自分

友人や恋人の前で「ありのままの自分」でいられることって、すごく素敵なことだと思います。

でも、ときどきそれは「自分がありたい姿」とはちょっと違ったりする。



たとえば、お腹がすいたときに機嫌が悪くなるのは、ありのままの私。

でも、お腹がすくたびに人前でマイナスオーラを放つのは、私にとって理想の姿ではない。

要望を伝えるのが苦手で、相手が察してくれるのを待つのが常だけど、本当は爽やかに堂々とおねだりしたい。

相手との距離が近くなればなるほどリアクションがおざなりになっていく性格なんて、ありたい姿とは正反対。


こんなふうに、「ありのままの自分」が「ありたい自分」とイコールじゃないことってちょこちょこある。

ありのままを受け入れて一緒にいてくれる人がいるのはものすごく幸せなことだと思うけど、

一方で、許されることに甘んじて自分の行動に歯止めが利かなくなってるのを実感するときは本当に自分が嫌になる。



友人Aからこの話をきいたとき、「ありのままのAも破天荒で好きだけどな~」って当時の私は思ったけれど、

いざ自分がなってみると、たしかにやりたい放題の自分は可愛くなかった。


「ありのまま」って言葉は素敵だけど、実態はそんなにきれいなものじゃないからね。


Aの主張としては、相手へのリスペクトをもって行動を律せることが、相手にとってはもちろん、何より自分にとって健康的な状態なんだと。

別の人の言葉を借りるなら、「自分に誇れる自分」でいることが自分の幸せだよねっていうこと。

ほんと、自分に誇れる自分になりたいです。



もしかしたら、私は「ありのままの自分」と「自分の甘さ」をはき違えてるのかも?なんて思ったりしたけど、とりあえず一人で考えても簡単にはゴールにたどりつかない面白いテーマだと思います。

ありのままの自分と、人の寛容さと、自分の甘さ。

他の人はどう考えるのか、聞いてみたいものです。




…今回はほとんど人の受け売りで話しちゃったけど、それくらいの実力不足はありのまま受け入れるということで()






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