微毒な親【Rika's Subject】

物心ついた頃から母は過保護だった。
母からは「あなたはこの中にいるどの子よりも可愛い」と言われて育てられていたし、2歳違いの兄も「お母さんはRikaに過保護だよ」と言っていた。

よく体調を崩していた私が「頭が痛い」「お腹が痛い」と言えば、母はすんなり学校を休ませてくれた。高校受験の合格発表の日、なんと母は先回りして合格発表の掲示を見に行っていた。同級生たちと誘い合わせて高校の最寄り駅を降りたら、指でこっそりとOKマークを作る母とすれ違った。

そんな母だが、別のメッセージも発していた。
「あなた達のおさんどんで私の一生は終わるのね」
「わかってるの。これが私の仕事だから」
私達兄妹は、小学生の頃から幾度となく聞かされた。

私はそんな母を「自分で私を産んでおいて何を言ってるんだろう」と冷めた目で見ていた。絶対に母みたいになりたくないと思っていたし、もっと言ってしまえば専業主婦は奴隷契約で子供を持ったら負けだと考えていた。(ついでに言うと団塊世代の父は完全なる「昭和の男」で亭主関白だった)

母はその他にもいろいろなダブルバインドのメッセージを送ってきた。
友達の影響で爪磨きを始めた中学生の私に「また色気付いちゃって」と言い、大学生の私には「女の子なんだからもっとちゃんと化粧しなさいよ」と言った。最後はたいてい「お母さんの言う通りにしていればいいんだから」という言葉で締めくくられた。

今思えば、仕事ができた母は寿退社をして家庭に入ったことでエネルギーを持て余し、心を向けるものが子供だけだったのかもしれない。

幼少期のトラウマによって「自分の意志」を持てなかった私は、疑うことなくまんまと母の言う通りに人生を歩んでいた。母の判断に従っていれば安心安全だと考えて、受験する大学も就職先も全部母に相談していた。

大人になって「母にスポイルされていた」ことに気付いてからは、母が大嫌いになった。これまで通った心理カウンセリングや様々なセラピーでも「これはお母さんの影響ですね」と言われることも多かったし、実際結婚して実家を出たら体調が良くなった。

そんな母もまもなく70歳になる。今は認知症の父を1人で介護している。
私の母に対する気持ちは、まだ折り合いがついていない。
「大嫌い!私をこんな風にして!散々苦しめやがって!」と母を突き放して絶縁することもできず、かといって「全面的に赦します。愛します」という気持ちも持てず、長らくどっちつかずの宙ぶらりんな状態が続いている。

毒親未満。親ガチャも「ハズレ」とまでは言えない…微毒の親。
これからどういう心持ちで付き合っていったらいいんだろう?
答えは出ていない。

今は寝覚めが悪くならない程度に最低限の礼儀だけは尽くしているつもりだ。
きっと本音の会話が足りていないんだろうな、もうちょっとだけ頑張ってみようかな…と今日も気持ちが揺れている。


…と、ここまで書き終えたら、母との楽しい思い出が一気に思い出されて、つい目頭を熱くしてしまった。早くどこかに着地したい。


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