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引退競走馬のこと②【Rika's Subject】

前の記事(引退競走馬のこと①)で、夢なんて持ってこなかったと書いた。

厳密に言えば、夢はあったのだと思う。
でも、その時々で抱いていた”夢”はとてもふわふわしていた。
今思えば、夢を持つことは大事と言われたしフラフラしていたから、仕方なく今までの経験とか「まぁ好きかな」と思えるものから無理やり絞り出して「私の夢」としていた。言うなれば外向けの”夢”だった気がする。

そんな調子だから”夢”はコロコロ変わった。アロマセラピストになりたいと思って教室に通ってみたり、カウンセリングを受けている身だったのにカウンセラーになりたいと思って心理学を勉強してみたりした。「やっと見つけた!これが私の夢だ!」と毎回本気で思う。でも夢を追う覚悟も意志もそもそもの熱量も全然足りていないから、パッと飛びついてちょっと齧っては熱が冷めて辞める、を幾度となく繰り返した。

一方、仕事はそつなくできていたとは思う。ただ、毎日頭痛がするか気持ち悪くなるか息苦しくなるかで、遅刻・半休・欠勤の連続だった。有給休暇を使い切らなかった年は無かった。

そんな自分がフリーランスになったら、体調が一気に良くなった。息苦しさに悩まされて漢方薬を飲むことも無く、朝もスッキリ起きられるようになった。精神的にも安定してきて、気付いたら「寝て起きたら死ぬ前の日になっていないかな」「早く星に帰りたい」といった口癖は消えていた。

そんな時に引退競走馬の存在を知った。
毎日毎日飽きることなく馬の動画を観て、引退競走馬に関する本も読んだ。熱しやすくて冷めやすい自分のことだから、数ヶ月で飽きるだろうと思っていた。飽きたらやめよう。そう思っていたのに、どっぷりと嵌って今に至る。

私は競馬では1円も儲かっていない。馬券を買ったことすら無い。
馬の恩恵を受けたことは無いのに、なんでこんなに嵌ったんだろう。じっくり考えてみたら、1つの答えに行き着いた。

何のことは無い。
会社員という生き方に馴染めず、パッとしない自分の半生と重ね合わせていたのだ。
これに気付いて物凄く合点がいった。
私は有馬記念や天皇賞など大きなレースを勝った馬や血統の良い馬より、1勝もできなかったり誰も名前を知らないような馬につい肩入れしてしまう。そこに、社会でエリートになれなかった自分・稼げてこなかった自分を見ていた。

ただ、競馬の世界では勝てなかった馬でも、引退後に馬術競技に才能を見出されて競技馬として活躍できることもある。「闘争心が足りない」という競馬には不向きな大人しい性格は、逆に乗馬で初心者を乗せるのに向いていたりする。人間が大好きでふれあいの仕事をしている馬もいる。
環境と出会う人が変われば、いつでも生まれ変われる。
それは人も馬も同じなのだろう。

私は愛馬にするなら、馬術競技馬なんてもったいない、乗馬もできなくていい、「ただの馬」でいいと思っている。元気で暮らしてくれればいい。たまには自分の手でブラシをかけてやったりしたいから、手入れを許してくれる馬だったらなお良いかなぁと、まだ見ぬ愛馬のことを考えている。

そのために今は仕事を頑張る。
それがようやく見つかった私の夢である。(了)


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